繁慶研磨
某コレクションの繁慶を研磨。
近年たまたま繁慶を見る機会が多く、7,8口拝見したでしょうか。
繁慶というと則重の松皮肌の様な大板目肌立つイメージを持つものですが、実際はそればかりでは無い様で、近年拝見した繁慶の多くはよく詰んだ細かい地肌でした。
今回研磨の繁慶はイメージ通りのもので、則重や正宗を彷彿させる出来。
何より砥当たりが柔らかく、鎌倉時代の刀の内曇りを引いている感覚です。
また繁慶は匂い口が沈むとされますが、刃も明るくとにかく良い刀。
某コレクションの繁慶を研磨。
近年たまたま繁慶を見る機会が多く、7,8口拝見したでしょうか。
繁慶というと則重の松皮肌の様な大板目肌立つイメージを持つものですが、実際はそればかりでは無い様で、近年拝見した繁慶の多くはよく詰んだ細かい地肌でした。
今回研磨の繁慶はイメージ通りのもので、則重や正宗を彷彿させる出来。
何より砥当たりが柔らかく、鎌倉時代の刀の内曇りを引いている感覚です。
また繁慶は匂い口が沈むとされますが、刃も明るくとにかく良い刀。
数年前85歳で亡くなった伯母は若いころ女優さんでした。
私が知る伯母は、とにかく華がある”東京のおばさん”。いつも知的で明るく、冗談を言っては軽く踊って見せてくれる人。
小さいころから”伯母さんは女優をしていた”とは知っていましたが、次第に「なぜ?どんな経緯で?」との思いを持つようになり、しかし直接聞く機会もなく。。
ある時、古本屋の古い週刊誌に伯母の写真を見つけ購入。そこには東京のおばさんの一番華やいでいた頃の姿が。
以来伯母が載っている週刊誌や映画雑誌、エッセイ集などを見つけるたびに買っていたら、20冊を超えていました。
なぜ?どんな経緯で?を直接は聞けませんでしたが、古本屋に並ぶそれらにはその”なぜ”が書かれていることも。
(写真は映画のパンフレットから)
作家の野坂昭如さんとの対談が掲載された本がありそれによると、十津川の家を出たのは14歳、1949年ごろ(昭和24年)で単身大阪へ。
当初は美容師を目指していましたが、歌とダンスが好きでダンサーとなり上京。
ただその後の仕事ぶりには「なぜ?」の疑問が増してしまうのですが…。
まずショーダンサーとして独りハワイに渡り、それからニューヨーク、ラスベガス、ロサンゼルス、ロンドン、ローマ、東南アジア諸国等々で踊っていたそうです。その後、アメリカ・イタリアの合作映画に出演。帰国後は日本でドラマや映画などに出ていたと。
因みに伯母は身長165~170㎝(記事により様々ですがたぶん実際は160台後半)と当時の日本人女性としてはかなりの高身長でグラマラスな姿態。野坂さんはそんな伯母のことが大好きだったそうで、野坂さん本人も書いていますが他の雑誌にも野坂さんをはじめ様々な文化人との交流話が度々出てきます(どこまで本当か分かりませんが)。
伯母に関してもですが、昔の記事には若かりし頃の私の父がちらと出て来ることも。
父は五人姉弟の末っ子で、次女の伯母は8つ離れた末っ子の父を一番可愛がっていたそうです。
東京ではバンドマン(ドラマー)をしながら伯母の付き人をし、姉弟二人でアパート暮らしをしていた事などが記事に。
そういえばその当時の話は殆ど聞いたことがなかったかもです。
私の祖父は父が2歳の時、大阪湾で戦死しています。なので父は祖父の顔を知らないのですが、伯母はその時10歳。
父親の顔を全く知らず別れをむかえるのと、10歳で父親との別れを体験する事とどちらが不幸なのでしょう。
それは私には分かりませんが、伯母が郷里を出た理由には強く関係しているのではと想像します。てか、出た理由もその後の人生も、私みたいな人間には想像しきれるものではないか。。
雑誌に掲載される帰国後ある程度年齢を重ねた頃の写真には(年齢不詳で通していたようですが)、やさぐれ感を演出したものがあり、煙草を吹かす姿が印象的。
私が知らない伯母の強かで破天荒で、グラマラスでかっこいい写像がそこにあります。
YouTubeで土方歳三の生涯を語る動画をみていて、私の身近に居たかっこいい人の事を思い出したので書いてみました。
硬い末古刀の仕上げ。
とにかくひたすら硬く、内曇りが効きづらい。
こういう刀は地肌が良く出る事が多く、今回も細かく地沸が付き、シャキッと簡単に晴れる。
ただ刃艶が効かないのでよく選ばなければならず。刃文もとりとめのないもので、どう拾っても美濃新刀のようになり、いかん。(美濃新刀が悪いということではなく)
少し前にも同様に硬い刀の事を書いた気がして検索したら1月ですか。7月くらいかと思っていたら。。時間間隔がバグっています。
諸々 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
↑ここにも書きましたが、今回も砥当たりだけじゃなく、持って硬い刀。
眠い刀を「物ぎれしそうな」と表現する場面に度々でくわしますが実際どうなんでしょうか。
眠い刀で畳表を切ろうとした人を二人知っていますが、どちらの刀も全く切れずでした。切断出来ず途中で止まります。
重さ尋常、刃は普通についていますし、平肉も普通か少し無いくらいです。なので形状や研ぎの問題ではなく、おそらく刀の硬度の問題なのでしょう。
もちろん切断できれば良いわけではなく、折れない事の方が重要なのかもですが。
少し前、過去何度か拝見している刀ですが、差し込み研ぎで有名な研師が研いだものを久々に拝見しました。
古い研ぎ。多少のヒケや曇りは有るが状態は良好。
色々考えながらじっくりと何度も拝見。とにかく上手い研ぎで、以前拝見したときの感想をブログで確認してみました。
古い差し込み研ぎを拝見 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
今回の感想と寸分たがわず同じでした。。
7年前なんですけど。全然進歩していないんでしょうか。。
マーティンと一緒に拝見した時のこともありました。
「兼宣作」 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
その後も色々試しているのですが・・・。
でまた今回も試していましたら、古研ぎに見るトロトロの差し込み研ぎが完成しました。
グーグルマップ・浄拭 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
このブログの後半で「本阿弥の三事」についての意見を書きました。それはあのトロトロの差し込みがどうしても解明出来なかったからですが、解決です。鉄肌拭いとは原理が違うのでしょう。差し込み拭いの驚くべき効果を始めて体験しました。