陸奥守忠吉

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刀、銘 肥前国住陸奥守忠吉

27回目。唐突に肥前に戻ります。8回目と同じく忠吉家三代目、陸奥守忠吉。
全身押形のよいところをあげるとしたら、まず姿を把握しやすい点があげられるでしょう。
私、近年は切っ先と茎尻を同じ幅で押形採拓を行っていますが、それにより姿の把握がしやすくなります。
実際に刀を見て、腰、中程、先と、どの位置の反りが一番強いか、その刀が”何反り”かを掴むことは案外難しいものです。
しかし全身の表裏を描いた全身押形を見れば、反りを容易に把握できます。
今ブログでUPさせて頂いて居る押形でいうと、17回の龍門長吉は少し反りは浅いが腰反り、1回目の則縄は腰反りだが先まで力強く反る、7回目の近江大掾は反りは浅いが腰付近が反っています。
そして今回の陸奥守忠吉。7回目の近江大掾とは全く違い、輪反りに近くそして深い反りです。
全体に淡く映りがあり、刃中には金筋が入り、帽子も普段の肥前刀とは違い、総体に古い雰囲気を感じます。
肥前刀には度々古作の写しをみますが、この陸奥守忠吉も何か古作を狙った作なのかも知れません。



三善長道

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脇差、銘 陸奥大掾三善長道
     延宝五年二月日(敷地神社蔵)

26回目。前回に続き敷地神社(わら天神)様の蔵刀です。
長道の祖父長国は元伊予松山藩の刀工で、藩主加藤嘉明が会津に移封となりそれに伴従しました。以後三善家は会津の地で繁栄し新々刀期まで作刀を続けています。
初代長道の刀は卓抜の切れ味を誇り、江戸時代後期には業物位列に於いて最上大業物に選定されます。同じく最上大業物である長曽祢虎徹に作風が似ることから「会津の虎徹」ともいわれ、会津新刀を代表する名工です。

敷地神社(わら天神宮)HP



祐光

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短刀、銘 備州長船祐光(敷地神社蔵)

25回目になりました。敷地神社様の短刀です。

室町時代の備前物は初期応永頃の物を応永備前、永享頃を永享備前、室町時代も後期に入る少し前、応仁頃以降の物を末備前と呼んでいます。
銘鑑で祐光をみますと室町初期永享頃の祐光を初代とし以降多数の記載がありますが、祐光や同時代に活躍した則光なども含め末備前に分類する場合が多いと思います。

この短刀は、”わら天神”の名で親しまれ、安産祈願で有名な敷地神社(京都市北区)の蔵刀です。
奉納刀の可能性が高いと思われますが、いつ頃どの様な経緯で奉納されたか等、詳細は不明との事。
刃長七寸、無反り、重ねの厚い末備前の典型的作品です。

敷地神社(わら天神宮)HP



高天神兼明

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短刀、銘 兼明
     高天神(高台寺蔵)

24回目。
高天神兼明は美濃より遠州に移住した刀工で、室町時代中期から末期にかけ同地にて複数の同銘工が作刀しています。
駿遠豆三州刀工の研究(日本美術刀剣保存協会静岡県支部発行)によると高天神鍛冶の作刀は、高天神城への武器供給が主であり、よって作風も実用本位の物が多かったようです。
銘は、高天神と兼明を表裏に切り分けるものや、高天神とのみ切る作品もありますが書体は多様で、銘による代別判定は難しとの事。
本短刀は区を若干送るも焼きは微妙に焼き落とし刃の働きも少し硬く感じられますが、茎味は良好です。
由緒は調査中との事ですが、22回目に掲載させて頂いた木下勝俊所用の薙刀同様、どの様な歴史を辿ったのか興味のそそられる短刀です。

高台寺
高台寺掌美術館