錆身の名刀

錆身の古名刀を拝見。
あまりに凄いので簡単な押形を取らせて頂きました。

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興奮のあまり映りをどんどん書き込んでしまい、かなり刃に近い位置まで下げてしまいましたがこれは現物とは違う状態で、本当はもう少し高い位置を中心に存在します。
つまりその状態の映りが示す時代の物です。
研師が拝見する御刀を一々欲しがってたんじゃぁ限りがありませんので所有欲はまず出ないものなのですが、久々に「手もとに置けたら素敵(*^ー^)ノ」と思ってしまう錆身でした。
いやはやまだまだ刀は眠っていますなぁ。



短刀の美 -鉄の煌き-

佐野美術館で平成21年11月28日(土)-12月23日の期間、「短刀の美 -鉄(くろがね)の煌き-」が開催されています。
図録を取り寄せました(\3150+送料\500)。(佐野美術館のHPから通販で購入出来ます)

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いきなり「煌き」が読めません・・(-_-;
辞書辞書(yahoo!)。  「きらめき」でしたかなるほど。
佐野美術館の図録は毎回値段が安くて美しい物ですね。
(「短刀の美」の横は、昨年の一文字展、一昨々年の乕徹と清麿)



幡枝八幡へ

以前、重要美術品の幡枝八幡國廣の事を少し書きましたが、家からすぐ近くですので先日久々に行ってみました。

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丘の上が幡枝八幡宮です。一緒に針神社というのもあって、針の供養など行われるそうです。

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寒い日でした。

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國廣さんが通っていた頃からあったんじゃぁなかろうか。

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上ってきました。 ちょっと温まった。

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こんな感じです。
確か社務所の横に焼き入れの井戸など有ったかと思っていたのですが、完全に記憶違いでした。
どこと間違ったのかな・・。

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椎の実を拾うのなんて20年ぶりくらいでしょうか(^^)
炒って食べようと思って持ち帰りましたが忘れてて気づいたら嫁さんに捨てられていました(^-^;

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ちょっと気持ちよいお散歩でした。
この幡枝八幡宮のすぐ近所では幕末の刀工、南海太郎朝尊(ともたか・ちょうそん)も鍛刀していました。
ちょうど、すぐ上の写真に写っている辺りじゃないでしょうか。
朝尊さんもここにお参りしていたのでしょうね。
・・あぁ、でも先日の刀美の記事によると、岸本先生が國廣を発見したのが大正15年。
もしかしたら幕末の朝尊さんは國廣の存在は知らなかったと言う可能性もありますね。
朝尊の刀は、銘を「”朝”廷を”尊”ぶ」っと言う意味に捉える事もできますので、幕末には勤皇の志士達に人気のある刀であったとも聞きます。
(私の田舎のヒーロー、中井庄五郎も二尺五、六寸は有る、勤皇刀スタイルの「朝尊」二字銘、太い朱鞘で太く長い棒柄の刀を差しています。)
福永酔剣の「京都の刀剣」に、福永先生ご自身が岩倉幡枝に来られた時の事を書かれていまして、当時95歳の老女が朝尊さんの事を覚えて居てその記憶を語ってくれたと言う内容でした。
幕末と言ってもまだそれくらいの時代なのですねぇ・・・。
特に京都は幕末からはまだ日が浅いのかも知れません。