粟田口は青いか

「粟田口は青い」とは古い時代から言われているが、現代の研磨で本当にその鉄の青さが分かるのだろうか。
そもそも拭いが入ってしまった後の鉄を見て鉄の色を語ってよいものかどうか、疑問に思ってしまう。
拭いとは研磨材の微粉末で、前工程の地艶終了後に行うが、拭いの前後で刀身の色は大きく変わる。
地艶が終了した時点では刀身の色はグレーに近いが、拭い工程により一気に黒味を増し、色としては前行程とは全く別の物になってしまう。

一般にいわれる北国物の黒味も研ぎ上がった状態の刀身、即ち拭い工程以降での色を言っているわけで、厳密に言えばその意味は鉄の色よりも鉄質を指しているといえないだろうか。
例えば「拭いに反応しやすい鉄が多く含まれる」というような。
つまり「拭いにより黒くなりやすい鉄を多く含んでいるため、研ぎ上がった刀身には他の刀よりも黒味の強い肌が目立ち、そのため北国物は黒く見える」と。

拭い以降では鉄本来の色が見えないとしたら、どの段階がよいのか。 荒砥でざっと研磨した状態か、下刃艶を刀身全体にあてた状態か、それとも下地艶或いは上げ地艶か。
その辺を深く考えた事がないので私には分からないが、少なくとも拭い以降に比べれば同条件に近い状態での比較が出来る段階はあると思う。
実際研磨していても仕上げのいずれかの工程で、青味の強い鉄、黒味の強い鉄を感じる事はある。

因みに、拭い工程を行う事を「入れる」「差す」などと表現する事からか、地肌の隙間に黒い拭い粉が入る事で刀身が黒く染まると思ってしまっている人も多いようだが全くそうではない。
研磨材は多種多様で色も様々ある。例えばホワイトアランダム、グリーンカーボン、ダイヤモンドパウダー、酸化セリウムなどの研磨材は拭い材料として単体でも使用可能だが、いずれも白っぽい粉末だ。
ホワイトアランダムなどはその名の通り真っ白な粉末で、肌目に粉が入るならば刀身は真っ白になってしまうところだが、残念ながらホワイトアランダム単体で刀身を擦ると刀身は真っ黒ピカピカになってしまう。
Wikipediaで”差し込み研ぎ”について見てみると、これまた地肌の隙間に対馬砥の粉を挿し込むと言うような事を書いているが、これも間違いだ。
確かに対馬砥の粉は黒っぽい色をしているが、真っ白い細名倉砥の粉末でも同じように差し込み研ぎは可能である。

最初に書いたが「粟田口は青い」、これは昔から言われているが、昔だからこそ見えた色ではなかろうか。
今ほどは研磨のバリエーションが無かった時代。拭いの後であったとしても、鉄本来の色に近い色を同条件で比較する機会も多かったはずだ。
現代の研ぎを見て、粟田口は青い、現代刀は白いなどとあまりに簡単言ってしまう場面に出くわす度に色々考えてしまう。
ただもしも、「私には見えている。お前には見えていないのか? 研師のくせに。」などと言われてしまうと、もうそれ以上は何も言わない方が無難そうだが。