大和志津
大和志津という極めがありますが、私が行き始めてからの京都の入札鑑定には出た事が無い様に思います。
短刀・脇指には在銘が有りますが、刀はみな大磨上無銘ですので入札鑑定には出難いところでもありますね。
大和志津の定義を簡単に言うと、大志津さんが美濃に移住する前の大和包氏時代の作と、美濃移住の時一緒に行かず大和に残り包氏を名のった人達の総称と言う感じでよいと思います。
先ほどまた古い刀美をちょろちょろと見ておりましたら、昭和29年の記事で大和志津の事が有りました。
宮形光盧、佐藤貫一両先生が書いて居られる記事です。
極々簡単に言うと、宮形先生は、協会審査では大和志津と伝わるものをことごとく極め変えをして別の極めを付けているので何年か後に大和志津は消滅してしまうと言う話。
それに対し、寒山先生は一応、いやいやそう言う訳では無いのですよと言う雰囲気の内容。(あまりに軽く書きすぎてすみません)
寒山先生が書かれておりますが、古極めには大和志津は殆ど無いそうです。
「根津家売立目録には元禄八年本阿弥光忠の大和志津拾五枚の折紙の写真が載っているが、多くこの名のあるのは明治以来の本阿弥家の折紙のように思われる」
と書かれています。
重刀図譜を見てみましたら折紙の付いて居る物は一つしかなく、こちらも享保六年光忠の物でした。
大和志津は100振りほどの重刀指定が有るのですが、第12回(昭和39年)が最初の指定です。
大和志津は無銘ですので指定され辛い面はありますが少し遅めですね。
図譜解説も当時から現代までに解釈を広める変遷が有り面白いです。
全く話は逸れますがこの当時の刀の登録本数は大体40万振り程度だそうです。
先日、ネット上で登録都道府県と登録番号が確認出来る品を検索し、現在の登録本数を推計しましたが、大体280万振り程度ではないかと思います。
今後、発見される刀剣は減って行く訳ですが、まだ貴重な資料も眠って居るのでしょうねぇ・・。
銘の有る品は安易に偽とは判断せずに大事にして行きたいものです。
と自分にも言い聞かせます。