小柄櫃
一昨日、研ぎ場の本棚の最上段の端に見慣れない小冊子を見つけ、背伸びして手に取ると初期の「大素人」でした。
何気にパラパラめくると、山銅鐔について書かれていました。
以前から、もの凄く気になっていたんです。
笄櫃が綺麗な洲浜型にならず、ちょっと歪で尖り気味、小柄櫃は角ばって細い。
このタイプの櫃穴の鐔は室町末期から桃山期の物だと聞きます。
しかしその頃の小柄は彫が高く豊かな肉取りの物が多く、この細い小柄櫃を絶対に通りません。
私もそういう鐔を持っていますが、小柄櫃の幅を計測すると3.9mm。
それ程肉厚でなく、しかも裏がこんなにべこべこの小柄でも通そうとすると、小柄櫃の幅は最低でも5mmは必要です。
こちらは室町末期頃~桃山といわれる厚手の小柄。これだと最低でも8mmは無いと通りません。
このタイプの櫃穴を持つ鐔は本当に室町末期から桃山期の物なのか、ずっと気になっていました。
「法隆寺西円堂奉納武器」には西円堂に奉納された鐔の押形が多数載っています。この本を買った当時まず一番に鐔の押形にある櫃穴を確認しましたが、極僅かしかこの櫃穴を持つ鐔はありませんでした。
一昨日見つけた大素人の小論でも、西円堂の鐔にこの櫃穴を持つ物が殆ど無い事に触れ、内容の詳細は省きますが、このタイプの鐔はもっと古い可能性があるとの見解が示されていました。
この細い小柄櫃を通る小柄小刀はどの様な物なのか、頭には漠然と「鉄の共小柄」というものが浮かんでいました。
具体的には姫鶴一文字に付いている梅の透かしの共小柄です。(共小柄とは、小柄と小刀が繋がった鉄で、一体になった物をいます)
ちょっと気になり、「打刀拵」を開いて確認を・・・。
なんと小刀には「国助」の銘。白黒写真ですし、意識も薄かったので気付いていませんでした。
解説にもちゃんと書いてました。 銘、国助。「小柄は江戸時代に添えたものである」と。
全然違ったのですね。
同種の小柄が上杉の高瀬長光にも付いていますが、この小柄の透かし部分が折損しており、その傷んだ雰囲気の写真から私が勝手に古い物だとの印象を強くしてしまっていました。(この小柄も江戸時代の物との解説でした。銘、元利)
またたまたまですが、今日届いた「刀鍛冶考」に「小柄小刀私考」。
ここまで残って居ないなんて、”こつ然と姿を消した”くらいの印象なのですが、結局は消耗されて残っておらず、僅かに出土品として確認される程度のようです。
それにしても、大量にあったであろう品でも、こんなにも残らない物なのですね。
不思議で仕方ない。