人と刀と

京都府支部会報「津どい」は昭和31年に創刊号を発行して以来、現在97号まできています。(支部発足は昭和24年)
平成8年の第83号。元支部長、故生谷敬之助先生の寄稿「人と刀と」。
 

 O女史が初めて拙宅に見えたのは二年前のことである。自宅の火災で家財を整理。そのうち実家から預かった刀を発見したので鑑て頂きたいとのことであった。住所は同じ区内のごく近いところであり、ご夫君は大学の先生、ご本人は家裁の調停委員であるとのよし。では一見ということとなった。
とり出されたのは脇差で無銘物、「新刀高田」と観られるものである。錆身のうえ粗末な拵え。柄糸は失われている。所見を腹蔵なく申し上げると、この刀は実家の先祖伝来のものであるから実弟に譲りたい。なんとか美しくならないかとの希望であった。
その様なことで、むげに断りきれず預かることになった。鞘師上野敏夫君に事情を話したところ快い承諾を受け、やがて関係諸士の手によって見事に修復されたことは言うまでもない。そして、一刀を手にした女史は暫く感無量の面持ちであったことは忘れることができない。
数ヶ月が経って再び女史の訪問があった。里にそのまま返すのでは将来粗末にされる心配があるので「家伝の由来」「日本刀の説明」「刀の取扱法」などの書付を残したいとの希いである。書店で刀剣の本を求め、自分として精一杯力をつくして原稿を作ったが、なにとぞ加筆を願いたいとの申しいでである。和紙十数枚に毛筆で書き連ねられた文章はなかなか意をつくした内容であり当方の意見をさしはさむ余地はなく、今更ながらその気概に一驚したのである。そしていまの時代には珍しい日本人的なこの心。昔の女性の亀鑑とはこの様な方を言うのかなと心底深く感嘆した次第であった。

 内田疎天翁の「剣霊を仰ぐ歌」の内

   日の本の人の心のおのずから
      伝えまほしき日の本の太刀

 

生谷先生のお話には度々こうした女性が登場するが、研師もこの様ないきさつに関わる事は多い。
こういう事は書くべきではないかも知れないが、正直なところ、「オークションで売るから光らせて」と言う注文よりも、上記の様な仕事の方が俄然研磨に力が入るものです。
あぁ、まずい事を書いてしまってますか・・・。しかしまぁ気持ち的にはそうなる訳です。

今月8日にはNHKで刀に関する番組が放映されますね。
人と刀と、関わり方は様々ですが根幹はやはり大切です。