末の山城物と大和物

タイトルにするとなんだか大風呂敷過ぎますが。。
ちょっと久々の押形で室町時代在銘大和物の刀の押形採拓を終え、室町中期在銘山城刀の採拓を開始。

地域も流派も何もかも違うのに、全国でほぼ同時に刀の空気感が同方向に変化しているのが面白いですね。不思議現象です。
大和・山城は近距離ですし、質や作風の変化の同一性が特に強く感じられます。
ただ室町の山城物は色んな意味で元気が無いですね。元気を取り戻すのは新刀期17世紀から。
一方大和では室町時代には手掻~金房が元気でしたが、新刀期には有名工は激減。しかし無銘で「文珠」という極めが出される事は非常に多いです。
この無銘文珠の極めですが、私は手掻の末で新刀期の手掻系全般という認識だったのですが、刀屋さんなどは文珠極めの物を「南紀後代」として扱っているところも。南紀後代ならば「文珠重国」となると思っていたのですが、ちょっと自信無しです。
手掻系は紀州・大坂など色々いますから、文殊とする場合それら全てを含んだ意味かと思うのですが、確認しなければ。。

少し前に自分で買った室町初期大和短刀の押形を採拓。

自分のものだからと、特に念入りにとるわけでもありませんが、ただ正直、気持ちの違いは少し感じました。
私の押形の原点だとしみじみ感じながら、少しだけ時間を長く採拓した次第。
楽しい時間。