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京のかたな 展示№168

2018年10月20日【ブログ】

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展示№168
刀(金象嵌銘)永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀
       織田尾張守信長

重要文化財に指定されている名物義元左文字(宗三左文字)です。
明暦の大火で被災しその後、越前康継の手により再刃されたものですが、これ程の由緒伝来を持つ刀はそう多くはありません。

押形採拓時、金象嵌が残る部分は筆で文字入れをし、「刀」「信長」「九日」など、金が剥落した文字は石華墨で摺り出すつもりで臨みました。
現物を確認したところ、火災によりかなりの高温で焼けたと思われ、茎全体に火肌が確認出来ました。
金が抜けた文字の多くは剥落ではなく、火災の熱が金の融解温度に達し、金が流れ落ちたと思われます。
「禄三年五月」などの文字も金象嵌銘として読む事は可能ですが、実際は金がかなり流れ落ち、底に残る程度の状態となっています。
この様な事から、金が残る文字、残らない文字の全てを筆で文字入れし押形を完成させました。

光徳刀絵図や継平押形では棟を丸棟としています。
しかし棟先に、かなり丸くなってしまってはおりますが、真の棟(三つ棟)の痕跡が確認出来ました。
(例えば海部刀などの丸棟は棟先まで丸のまま切っ先に抜ける物が多いですが、通常の太刀や刀の丸棟の多くは棟先だけは庵棟として処理されています)
棟全体を見ても、これは研師にしか分かり難い事かも知れませんが、元は真の棟(三つ棟)であった可能性を強く感じました。
火災で刀身全体から被膜が著しく剥がれ落ちた場合、形状を大きく崩す事があります。
この義元左文字は本能寺の変で焼けた説と焼けずに持ち出された説があるようですが、光徳刀絵図の時点で既に丸棟とされている所に答えがありそうです。

再刃された刀には、地刃の品位を落とした物を多く見ます。
この義元左文字は地刃ともに大変良い状態を保っており、この事から左文字の作刀技術と再刃した康継などの技量の高さがうかがえます。

京のかたな 展示№191

2018年10月17日【ブログ】

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展示№190、191は京のかたな展の後期展示となりますが千種有功の作品です。
有功の作は短い物が殆どでその多くは茎に銘が無く、「やきたちは さやにをさめてますらをの こころますますとくへかりけり 正三位有功造並詠」と刀身銘の入った脇差です。
慰み打ちとはいいますがこの手の脇差は現在でも頻繁に目にする事から、かなりの数が造らたれようです。
これらの品は造り込みに力なく出来も平凡であり、数打物に類する品と考えられています。
一方茎に銘のあるものが稀にあり、これらは注文打などの入念作と思われます。
展示№190は「正三位有功作 癸丑秋五十之内」と茎に銘のある脇差、№191は刀身銘に加え「寅二月有文有任奉相槌 為法住大徳作之」と茎銘のある太刀です。
有功に長寸の作品は大変珍しく、また息子の有文そして孫の有任の三者による合作銘、そして京都国立博物館のすぐ南に位置する法住寺住職の為銘がある事も注目されます。
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楽しみにしていた本が出版されました。
『もっと知りたい 刀剣 名刀・刀装具・刀剣書』(内藤直子 : 監修・著 / 吉原弘道 : 著)

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ここ数年、本当に沢山の刀関連書籍が出版されました。
研ぎ場の書棚にある刀剣古書とそれらは、書いてある事は同じでも、言葉の重みが違う物も多くありました。
もちろんあえて重くなり過ぎない様にしてはいるのでしょうが、なるほどそうなのですね。
この本のように過去に無い視点でこんな説き方が出来るのは、そういう事ですか。。この本の前書きで納得です。
そう思えば研師も色々違いはありますが近いといえます。実際様々な刀剣に触れ、そして砥石を当てているのですから。
研師の視点というものに自信を持つ事にします。

厚い本ではないですが、楽しくそして正しく学べる本です!
http://www.tokyo-bijutsu.co.jp/?act=book&op=detail&bid=381

京のかたな 展示№193

2018年10月11日【ブログ】

展示№193 短刀 銘 大阪住高橋晴雲子信秀七十五歳作
           於京都帝国大学鍛之 大正六年十二月吉日

刀は時代が古いほど軟らかく、新しいほど硬い傾向にあります。
しかしあくまでその傾向にあるというだけで、全てがそうではありません。硬い古刀もありますし軟らかい現代刀も多数あります。

”錵物は折れる”という話を聞く事はありますが実際どうなのでしょうか。私は切った事がないので分かりませんが、そう単純では無いと思っています。
「脆い=折れる」は正しいですが「硬い=折れる」は言葉足らずですし、「錵出来=硬い」は必ずしも正しいとはいえません。
過去に研磨させて頂いた特に硬い刀を複数あげたなら、その多くが匂い出来或いは小錵出来の刀です。
それらは硬過ぎて研磨に大変苦労しましたが、研磨中の刃こぼれの心配などは全くなく、硬さと同時に大変粘りのある鉄質でした。
これは研磨した時の所謂”砥当たり”による硬軟の判定なのですが、この砥当たり判定も砥石の粒度や質により様々で、例えば金剛砥で硬く苦労をしても内曇りの効きは早い刀、またその逆もありこれまた単純ではないのです。

さて展示№193、高橋長信が京都帝大で鍛えた刀、匂い主体の互の目に所々小錵の錵筋が走ります。
図録解説中に「日本刀にあるまじき高硬度で製作されていることが判明した」とある通り、強烈な硬さでした。
京都帝大内で日本刀に関する様々な実験を行うなか製作されたと考えられ、大変興味深い作品です。

京のかたな 展示№192

2018年10月05日【ブログ】

展示№192 脇差 銘(忠以花押)

姫路藩の酒井家二代藩主、酒井忠以(ただざね)の作です。
昭和45年の刀剣美術誌第164号によると、酒井家では忠恭、忠以、忠実、忠学、忠顕など歴代藩主が作刀を行った記録があるそうで、展示の脇差もその一つです。
この様に、皇族、公家、武将など刀工ではない人が打った刀を慰打ちといい、少なからず存在します。慰打ちの刀はおそらく殆どの工程を相手をつとめる刀工が行っていると考えられますが、中には展示№190,191の有功の様に作刀数などからも慰打ちの範疇を超えるような人もいます。

京のかたな図録の忠以刀解説中、後に琳派の絵師として活躍した弟の酒井忠因(抱一)も忠以とともに作刀を行った事が玄武日記に記載されており、昭和四十年代までは個人の愛刀家の手にあったことが確認されている旨記されていますが、現在その行方は分かっていません。
この貴重な酒井抱一の刀は刀美164号及び鑑刀日々抄(続)に部分押形があります。
刃長二尺三寸一分、反り九分、目釘穴二。
太刀銘で「於姫路忠因作之 天明二年二月日」と太鏨の草書銘。
平造りの越中守藤原貞幸の脇差と大小で紀州家伝来という事です。
この貴重な抱一の刀、今はどこにあるのでしょうか。

 

京のかたな 展示№26

2018年10月04日【ブログ】

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展示№26 太刀 銘 (菊紋) 一

少し肌立つも細かく地錵の付く大変上質な地鉄。区上を焼き落とし水影状に映り立ち、腰刃を見せ、その上は総体に低く焼き、刃中は金筋等豊富に働く。
焼き落とし水影風を見せる菊御作の特徴に、腰刃を焼く古一文字の作風を合わせ持つ、即ち菊御作でいう、粟田口、古青江、古一文字の3タイプ中、古一文字タイプという事になります。

本太刀は重要美術品に認定されており、重美全集では「太刀 銘 一」と表記され、鎺下に菊紋があるも解説ではそれについてふれていません。(認定時の写真に菊紋は写っていますので、後に入れた様なものではありません)
また本太刀は菊御作として協会の特別重要刀剣にも指定されています。
展示№22,23,24,25に見るように、通常の菊御作は菊紋のみを切り刀身自体は無銘です。
本太刀を菊御作とするならば菊紋に一の字を添えた他に類例を見ない貴重な資料という事になります。

「一」の銘は様々あり、この一文字にみるように斜めに切り下ろすものを斜一文字(はすいちもんじ)と呼びます。
この斜に切られた一の字は、はたして文字なのか、それとも符牒なのか未だ不明です。
しかし一の銘の中では一番古い手の物と考えられており、他には尚宗、則宗の在銘の品に斜一文字を切り付けた例があります(いずれも佩裏)。