再刃

今年も、再刃の刀、或いは再刃と思われる刀、再刃とされていないが個人的に絶対再刃だと思う刀、また、再刃といわれているが個人的には再刃では無い可能性を感じる刀など色々見ました。
昔に比べ再刃判定は断然甘くなっていると感じています。私は再刃にうるさかった時代も知る世代であり、それ以前はもっと厳しかったのかもと思ったりも。。
再刃の事はまた書きます。



12月入札鑑定

1号 太刀・刀
反る。差し込み。地鉄は古く見える。腰少々荒れ。映り強い。若干角ばる互の目が全体に。片落ち風でもあり、少々逆がかる風も。腰の房は細かく中程にかけて大きくなる。柾気無し。映りは焼き頭から上がる。
古く見えるが、差し込研ぎで焼き頭がコチャっとなるあの状態になっている。古名刀の差し込みでこの現象は見た記憶が無く。
現代刀の裸焼も差し込みよりも刃取った方がこの現象が抑えられるというか見えなくなるので、刃取る方が良い刀が多いように思う。
大慶にこの古刀の様な荒れは存在しないし匂口も大慶より大分硬く。ただ私は石堂で南北備前を見たことがなく・・・。ましかしこの匂い口はこれか。
初代是一と入札。

2号 短刀
9寸ほどか。重ね薄い。三棟。少し反る。よく詰み、しかし細かく肌立ち、そして強い。僅かに湾れる直刃で強みがある。明瞭な金筋。
帽子丸。返り上品。
先日、青江の短刀について考えていたところで。何故にあの茎仕立てなのかと。個人的には好きな仕立てではない。あの形じゃなければさらに評価が高いのではないか?とか。ただ、青江の逆丁子を手に取った記憶が無く、直刃も10年以上前、多分2回ほどしか手に取っておらず。そしてその直刃短刀について「何故これがそれほど評価されるのか?」と疑問に思った記憶が。
で今回2号を手に取り、もしもこれが青江ならば青江短刀の評価が高い事に納得、と思った。
青江次直と入札。

3号 刀
反り浅め。慶長みたいな。中鋒。腰元柾肌。映り気。白け気味。互の目、丁子、少数尖り。かなり沈む。三品にはならず。
美濃出来の慶長前だと思う。
この手の刀を見ると、ほぼ数が無いので間違っている事は分かっているが、新発見かもと思いどうしてもこれを書いてしまう。
肥後守輝廣と入札。

4号 脇差
平身寸延。幅広。三棟。反り浅く付く。白く細かく肌立つ。白け映り。
匂いの締まる互の目、湾れ。表裏揃う。フクラから深めになる帽子。先丸。
ぱっと見は金重風だが、金重でここまで締まるとも思えず、何よりフクラから深めになる帽子は無いはず。もっと下がると思う。
が、この互の目は捨てがたく。。
美濃金行と入札。

5号 刀
末古刀風に反る。映り強く出る。古風で見事な丁子。
焼き頭上は晴れ、谷に降りて来る様な映りが明瞭に。
非常によく出来た刀。石堂の丁子。刃中にも働くので康広ではない。
日置光平と入札。



イヤ

イヤ

3号。でしょうね。。肥後輝に入れるのはもうやめます。越中守正俊と入札。
4号、やはりこの帽子の行きようはもっと降りますよねぇ。大道と入札。
5号。もしかして石堂じゃないのかも。個人的にはここまで凄い物を見た経験はないが。そぼろ助広と入札。





1号  刀 銘 (菊紋)出羽入道泰信法橋源光平
           寛文三年八月日
2号 短刀 銘 備中国住次直作 
        延文□年正月日
3号  刀 銘 源陸奥守大道作 
        天正四年二月吉日
4号 脇差 銘 兼房 
5号  刀 銘 摂州住藤原助廣

青江の長い物でここまで良い地刃を多くは見ない。やはり短刀は良い鉄を使っている。
そぼろ、良いですねぇ。石堂の一文字と映りの出かた等色々比較してみたい。現状見分ける自信ゼロ。



応永太刀

備前物、応永年紀、生茎の太刀を拝見。
刃長二尺三寸七分、反り一寸一分。
重ねは約8ミリ。とにかく減っていない完璧な太刀です。
上身はもちろんですが、茎の良さに驚きました。
備の直ぐ上に太刀鐔の跡がありますが、それ以外は非常に状態が良く。
もちろん茎の反り伏せもなく、茎尻の棟先まで完全な反りを残しています。
茎尻は浅い栗尻。中ほどから茎尻にかけて絶妙に絞った風に、茎尻が微妙に張り気味で力強く感じます。しかし茎尻側から見て確認すると絞られていない。この力強さは茎棟先端一寸の反りのなせるところです。鎌倉太刀じゃなく応永にもこんな茎があるのですね。
生茎在銘は尊い。



末備前

度々書いた事がありますが、末備前にはあまり関心がなく今まで来てしまいました。
何故という理由は分かりませんが、”大和物が好き”、みたいなものだと思います。特に理由はないです。
あ、一つ上げるならば、戦国武将好きじゃないからかもですね。
文亀永正大永享禄天文弘治永禄、元亀天正文禄、こんな年紀がバンバン入る末備前を見て、ゾクゾクっとしない戦国好きは居ないと思いますが、それが無いのは大きいかもです。
ただそんな私も数年に数口、これはヤバいと思う末備前に出会います。
思い返してみますと・・・全く減っていない某俗名入祐定刀、全く減っていない俗名入賀光脇差、蔵から出て来たばかりの激烈に重い清光刀、某御宮様の祐定脇差、某御宮様の在光剣、某御宮様旧蔵の某光太刀。
何年でこれだけかを考えたら、7年程度でした。
これらを思い返すと私が感じる末備前の魅力は「減っていない古刀」にあるようです。
そんな中、世に出ず眠っている某末備前合作脇差を拝見。こんなのがまだ眠っていますか。。
いいですね、末備前。



刀の撮影

色んな経緯があって、大阪南堀江にある「STUDIO GIVE」さんにお邪魔して、カメラマンの野田正明さんによる刀の撮影を見学させて頂きました。
詳細は書きませんが、やはりプロの”こだわる”仕事は凄いですね。とにかく何から何まで勉強になりました。こだわりを諦めたら終わりです。こだわって研ぎをしなければ。。

お許しを頂いてモニター画像を一枚。

刀の写真撮影は既に明治時代から行われています。(詳細は刀美743号「日本刀の記録の歴史と今後の展望~押形の再評価について~」井本悠紀)
当初は単に刀身全体を写しただけのものでしたが、銘を鮮明に記録する、地肌を写し出すなど、刀剣写真への要望は高まり進化してきました。
現在目にする刀身画像はスキャナーによる物の方が多くなっていると思いますが、先日の撮影を拝見していて、カメラによる刀剣写真の今後の可能性を強く感じました。
展覧会図録などでは「写真のクオリティーの優先順位は必ずしも高いわけではない」という悲しい実情ですが、せっかく美しいものを扱う刀の世界なのですから、より美しく記録された写真で世に送り出して欲しい、そう願います。