十津川郷採訪録
「十津川郷採訪録(林宏著)」(全五巻)は十津川村が吉野熊野総合開発によって生活文化が大きく変化する事を予想し、昭和34年に編成された調査団の記録です。
内容は大学ノート31冊分。それを活字には起こさず、記録ノートをそのまま写真版にしての発行です。
だからこその良さは沢山あるのですが、非常に読みにくいです。。興味のある箇所を見つけても、どの部分だったかを記録しておかないと、次に見つけられない。。
知らなかった事が沢山ありますが(というか知らない事ばっかり)、とりあえず河童は沢山いたようです。
河童、十津川ではゴウラ、ゴウラゴ、ゴウラボウシなどと呼びます。
ゴウラボウシのボウシは法師で、一寸法師などと同じ使い方です。
ゴウラに限らずホウシは今でも多様されます。「〇〇のホウシ」「〇〇ボウシ」など。
例えば「ジョウジ(私)のホウシ!」の様に。「あの野郎!」みたいなもんです。
十津川弁には古い言葉や言い回しが沢山残っています。
「男の人・女の人」なども「オトコシ(男衆)・オナゴシ(女子衆)」です。
若い世代ではかなり減ってしまっていますが、私の両親世代などはなかなかの濃さの十津川弁です。
河童の伝説は日本中にあるでしょうが、十津川郷採訪録に載っている大蛇(おおぐちなわ)の目撃情報の多さには驚きました。
伝説としてではなく、この調査当時の目撃情報として村内各所での話が多数記録されています。
長さについての記録は少ないですが、太さはビール瓶から一升瓶程度。
実はこれについては私も中学生の時、見たという話しを聞いた事があり、大体消防のホース程度を想像して頂いたら丁度よいと思います(おそらく長さは数メートル程度。ニシキヘビくらいでしょうか)。
普通なら嘘か大袈裟話にしか聞こえないでしょうが、おそらく本当にいたのだと思います。
なにしろ当時はまだ本物の秘境でしたので。
他に、「山鳥シダ」という記述に目がとまりました。
私は知らなかったのですが、「ヤマドリゼンマイ」または「ヤマドリシダ」と呼ぶそうで、ネットで調べてみると北海道から九州までの山深い所に群生し、珍しい植物ではないそうです。
ヤマドリゼンマイ(山釣り紀行の管理者様よりお許しを頂き転載させて頂いております)
”山鳥の羽”よりも、この山鳥シダの群生が山鳥毛の刃文に一番しっくりきます。