キサゲを
本日も
今夜は山城物最上作3振り、大坂、それに楽しみな短刀2振りなど拝見。
色々とお話をさせて頂き大変勉強になりました。
誠に素敵な御品を頂戴致しました。
大切に使わせて頂きます。
ありがとうございました。
南紀重国を
本日は車でダーっと走って南紀重国等を拝見しに行って来ました。
南紀の脇指を4振り拝見。
やはり凄い刀工です。
南紀を拝見したあとは、古名刀を鑑賞した様な気持ちが残ります。
古刀に見えると言う事ではなく、確かに”南紀重国を見た”のです。
これが正に”南紀重国を見た”と言う事なのでしょう。
マタカモ
カモニ
昨日田んぼにカモが飛来してましたが、全部食べちゃったみたいです。
ホウネンエビもドジョウも何もかも。 タニシがころがってるだけでした。
凄いですねぇ、たった一羽で一日で。
ここ、洛北岩倉でも水田は激減しています。
少し前まで田んぼだった所が全て住宅に変わって行く。
一羽の鳥が一年生きるのに水田が何枚必要なのか知りませんが、多分もの凄く必要なのでしょう。
これじゃトキが日本から消えるわけだ。
様々なものが消えて行きますね。
生きて行けなくなったり、成り立たなくなったり。
車で3分ほどの所に有る蕎麦屋に久々に行った。
ここが好きなんです。
残念ながら私は蕎麦の香りが分かる様な繊細な舌は持っていないので、単にここのそばつゆが好きなだけなんですけどね。
昔読んだ本に、プロの料理人でも同じ物を集中的に食べないとそれを理解出来ないと書いてありましたが、私も京都中の蕎麦屋を食べ歩けば蕎麦の香りとやらが分かる様になるのかなぁ・・・。
焼刃のキメの細かさは分かるんだけどなぁ。。 集中的に見てるんで。
昨日の
昨日の砥石はまだ試せず。
明日試せるかな。
もしもヒケが入らなければかなり面白い。
苦労する事が多い慶長新刀に使える様な物ならよいが。
そうなるとこれに近い砥質の品を入手したい。
また探すのが大変だ・・。
どじょ
もうドジョウの季節ですよ。
毎日田んぼの横を通りますが、水を張ってしばらくはアメンボくらいしか見当たりません。
しばらくすると蛙がタマゴを産んだり、ホウネンエビ?とかカブトエビ?みたいなのがちょろちょろ出て来ます。
そして毎年、ある日突然と言う感じでドジョウ登場です。
水門の開閉の関係でしょうかね。
今年のは結構大きいです。 13、4センチくらいでしょうか。 よく太っている。
ドジョウは生命力が強く、水無しでも生きると言う不思議なやつです。
口から空気を吸って腸にため吸収するんだとか。 妙なやつだ。
大好きなので十数匹飼っています。
いつも大変お世話になっている方に、古家の解体で出て来たと言う砥石をお借りしました。
やたらと重い。
少し当ててみたがかなり面白い。
良いかも知れない。
産地不明。
どこだろか?! 多分馬路だと思うが・・・。
演出ですか?
また古い刀美の話で申し訳ないのですが・・・。
いやほんとに面白いんですよ。
とある虎徹の磨上刀が話題に上ります。
審査に出たそうで、それについての真贋論争です。
押形入りで何号にも渡り、著名な鑑定家や研師、一般会員などが辛辣な論争を繰り広げます。
それが討論会形式ではなく、記事を読んだ後にその反論記事を送り掲載されると言う形ですので練られていて面白い。
(しかし結果がどうなったのかが載ってない・・・)
またこんなのもあります。
ある著名な方が「○○○偽名に注意して下さい」と言う内容の記事を載せる(○○○は偽名切師とされる人物の通称)。
するとなんと名指しされた人物が記事を投稿する。
一応名前が上がった特定の刀の偽名切りに関して否定はするが、「私ならもっと上手く切る」と言ったり偽名切師を肯定するかの様な、含みを多く持つ内容となる。
ほんとに今では考えられない内容が盛りだくさんで。
私はもちろん当時の事は全く知らないのですが、こう言うのってもしかして演出ですか?!
こうして刀剣界は盛り上がって行ったのでしょうか。(偽名切り師の二つの記事が同じ号に載っているのですが・・・)
まぁ多分違うのでしょうがこれだと大いに盛り上がるでしょうね。
とにかく匿名では無いと言う所がいいですね。
こう言う事は現代ではなかなか難しいとは思いますけども。
例えば何か盛り上がっている事を完全否定する人が現れると面白いですよね。もちろん演出で。
あぁでもクォーターパウンダーの行列騒動程度のレベルですなこりゃ。。
大和志津
大和志津という極めがありますが、私が行き始めてからの京都の入札鑑定には出た事が無い様に思います。
短刀・脇指には在銘が有りますが、刀はみな大磨上無銘ですので入札鑑定には出難いところでもありますね。
大和志津の定義を簡単に言うと、大志津さんが美濃に移住する前の大和包氏時代の作と、美濃移住の時一緒に行かず大和に残り包氏を名のった人達の総称と言う感じでよいと思います。
先ほどまた古い刀美をちょろちょろと見ておりましたら、昭和29年の記事で大和志津の事が有りました。
宮形光盧、佐藤貫一両先生が書いて居られる記事です。
極々簡単に言うと、宮形先生は、協会審査では大和志津と伝わるものをことごとく極め変えをして別の極めを付けているので何年か後に大和志津は消滅してしまうと言う話。
それに対し、寒山先生は一応、いやいやそう言う訳では無いのですよと言う雰囲気の内容。(あまりに軽く書きすぎてすみません)
寒山先生が書かれておりますが、古極めには大和志津は殆ど無いそうです。
「根津家売立目録には元禄八年本阿弥光忠の大和志津拾五枚の折紙の写真が載っているが、多くこの名のあるのは明治以来の本阿弥家の折紙のように思われる」
と書かれています。
重刀図譜を見てみましたら折紙の付いて居る物は一つしかなく、こちらも享保六年光忠の物でした。
大和志津は100振りほどの重刀指定が有るのですが、第12回(昭和39年)が最初の指定です。
大和志津は無銘ですので指定され辛い面はありますが少し遅めですね。
図譜解説も当時から現代までに解釈を広める変遷が有り面白いです。
全く話は逸れますがこの当時の刀の登録本数は大体40万振り程度だそうです。
先日、ネット上で登録都道府県と登録番号が確認出来る品を検索し、現在の登録本数を推計しましたが、大体280万振り程度ではないかと思います。
今後、発見される刀剣は減って行く訳ですが、まだ貴重な資料も眠って居るのでしょうねぇ・・。
銘の有る品は安易に偽とは判断せずに大事にして行きたいものです。
と自分にも言い聞かせます。