刀の硬軟
ブログ中、入札鑑定の事などでもそうですが「硬そうな鉄」「柔らかそうな刃」など硬軟に関する内容がありますが、意味が分からないと言う事を聞きました。
なるほど、硬そうに見える、柔らかそうに見える、と言う事は毎日研磨して居る研師だからこそ分かる事で普通に鑑賞して居る方の目にはそう言うふうには見えていない事もあるわけですね。
例えば丁子や互の目などの乱れる刃文で焼き頭(焼きが高い部分)がポコポコとふくらんで居る場合、刃が硬い可能性があります。(刃自体はそれほど硬くは無いが、地と刃の硬軟の差が激しいと言う場合もあります)
しかし研磨時のしゃくり具合でもその度合いが変わりますので原因を見極めなければなりませんが・・・。
わぁ・・書き始めてから気が付きましたが説明は簡単ではないですねぇ。 後日改めて書く事にしましょうか・・と言う感じです・・。
関連して思い出しましたが以前(かなり昔)ある場所で、新刀最上作の刀(重要刀剣)を取り落として大きく刃がつぶれる瞬間に遭遇した事が有ります。
すぐにかけ寄り見せてもらいましたが物打付近に二箇所、幅、深さとも1ミリ弱程度の刃こぼれが出来ていました。(パチンと欠けるのではなくグッと押し潰れた状態)
1ミリ弱の刃こぼれとは現物を見ればかなりの重症に見えます。
その刀に当った相手とは、家庭用の蓋付きプラスチック容器です(当った時は蓋を外した状態)。
容器のちゃんとした名称は分かりませんが、イメージ的にはタッパーウェア程度の物です。
落ちた刀側には大きな刃こぼれが二箇所出来ていましたがプラスチック容器側は無傷。(刀の刃こぼれ2箇所は容器の直径とほぼ一致)
その刀の刃は大変明るい物でした。
柔らかい刀とはこういうレベルの柔らかさと言う事なんです。
そして刃の明るさと刃の硬さの関係は一般に考えられがちな内容とは違うと言う事です。
平成23年9月18日 刀剣入札鑑定
もしかしてまた連休ですか。
連休って昔からありましたっけ。 こんなに。
年齢を重ねるごとに増える気がするのか3,40代だから多く感じるのかそれとも人によるのか。
夏に近所の田んぼで”どじょう”を10匹ほどとってきて飼ってます。
以前から飼ってる一匹金魚は未だ元気で大きく育っています。(いつも遊びに来ていただくお客様などは「おぉ~元気かぁ」と言う感じで餌をあげてくれています。金魚すくいの金魚ですが大きくなりました)
先日近所のお祭りで金魚をすくって来てドジョウの水槽に入れました。
世間でもドジョウと金魚が一瞬だけ話題になりましたがすぐ終わっちゃいました。 賢明ですよね。
本日は入札鑑定会に行って来ました。
一号 刀
幅広め、長め、鎬低め、行廣。
肥前行廣と入札。
二号 刀
反る。 複雑な乱れ刃。 地刃とも古調だが疲れる。
末の九州。 末波平と入札。
三号 太刀と思う。
細め。 反り浅。 大変つむ。 低く乱れ映り。 細め寂しい雰囲気の直刃。 帽子三作。
持った瞬間将監長光の印象(長光晩年或いは二代長光の意)。
素直に左近将監長光と入札。
四号 刀
長い。 浅反り。 地錵よく付き位の高い地鉄。 焼き幅広く詰む互の目。 刃はすこし沈む。
大坂か京か分からない。 肥後守国康状の互の目が一個有る。
大和守吉道と入札。
五号 脇指
延びる鋒。 細かく地景。美しい。 明るく非常にきめ細かい刃中。つるつるです。(そう言う上手な研ぎをしているので)
堀川国廣と入札。
当
通り
同然
通り
当
二号はそう言えば以前出た様な気がしますが名前や流派は全く思い出せず・・。
素直に今の気持ちで入札を。
平鎮教と入札。
四号、以前堀川國武の薙刀を研磨させて頂きましたがその刃とほぼ同じです。
やはり地鉄の位を重視すべきでしたか・・。
堀川国安と入札。
当
当
同然
当
当
一号 刀 肥前国出羽守行廣以阿蘭陀鍛作 寛文八年二月吉日 (重刀)
二号 刀 平鎮延作(磨上銘等切り付け銘多数)
三号 刀 助長(重刀)
四号 刀 国安(重刀)
五号 脇指 国廣
助長は長船系で長光晩年に近似するそうですので将監長光の札で当り同然ととってくれる場合もあるのかもしれません。
研磨に於いては、大変柔らかそうな地鉄で、了戒などもそうですが、どう仕上げたいのかが明確に頭に無いとヘンテコでぱっとしない研ぎになるでしょう。
今名鑑で見ましたら鎮延は漏れているのですねぇ・・。
茎尻は金剛兵衛に近い物でした。 しかしそれに比して短めで肉や仕立てもシャープで丁寧。
こんな刀を黒い天正拵えに入れて持ちたいです。嗚呼かっこいい・・。(元は肥後拵えなどに入っていたのでしょうか・・)
当時のままだった
最近、某太刀のハバキ下の部分研磨を行なった。
表裏刃区に黒錆、鎬地の太刀鎺が触れる部分に白錆。
研ぎ減りを避ける為、超局所的研磨にとどめた。
先ほどその太刀が載っている本を見てみようと開いてみて驚いた。
昭和29年の本ですが、部分研磨作業時と全く同じ錆び状態。
てっきりここ10~20年くらいの錆だと思っていましたが、60年ほど前の写真ですでにその錆状態だったのですね。
(上身には錆はなく、ハバキ下の錆も進行していませんでした。ずっと手入れされて来て居る物です)
手入れが良ければ刀はちゃんと保存出来るのですね。
芹沢鴨
以前、幕末当時京都東町奉行所の役人であった家から出た刀(10振り)の研磨依頼がありました。
発見時、鍵の壊れた古い刀箪笥に眠っており鍵を壊して取り出したそうです。
その中に、家紋を揃えた大小と短刀が有りました。 紋は丸に扇。
同時に陣笠も発見されており、その紋も同じ丸に扇です。
しかしこの家紋は発見宅の紋では無いとの事。
大小の中身は中河内と親国貞。 その他に井上真改(国貞銘)、出羽大掾国路、古入道国光などいずれも大変良い物で、
上身もですが特に茎の保存状態の良さに驚いた事を覚えています。
(確か一振りの大刀に換え鞘が三本付いて居た物もありました。TPOに合わせて換えたのでしょうか。その他小道具良品多数)
その後、現所持者が「幕末当時町奉行関係者が持てる刀ではない」と考え、幕末史研究専門の博物館である霊山歴史館の木村幸彦先生に調査を依頼したそうです。
私は幕末史などには全く疎く”にわか新撰組ファン”程度なので詳しくは分かりませんが調査の結果、新撰組の芹沢鴨の佩刀で有った可能性があるそうです。
(現所持者や木村先生の調査によると、東町奉行所が芹沢暗殺現場に逸早く到着して居るそうで、その現場から証拠物として持ち帰った刀が今回発見されるまでその家に伝わった可能性があると言う事のようです)
前振りが長くなりましたが、その刀を現在所持されて居る方が、芹沢鴨について世にあまり知られていない史実(家紋や佩刀の事、その他なんでも)などご存知の方が居られましたら是非情報をご提供頂きたいとの事です。
情報をお持ちの方居られましたら当HPよりメールを頂けましたら幸いです。
因みに芹沢暗殺は旧暦ですが9月16日(説)だそうです。
今夜は
新作刀は
名古屋で仕事を済ませてから東京へ。
本日(10日)は「現代刀鑑賞会」の日でした。
どうしても参加させて頂きたく、多くの新作刀を手に取って拝見したく、時間的に無理も有ったのですがとにかく東京へ・・・。
私は研師ですので御刀を拝見すると研磨に関し色々思うわけです。
本日拝見した御刀を研磨した研師の多くがよく似た気持ちで研磨にあたったのではないか・・?! と感じました。
展示刀の解説で、その研磨をされた森井鐵太郎氏が「研ぐのが楽しい刀」と言う内容を話されましたが、正にその気持ちです。
入念な新作刀を研ぐとはそう言う事だと思います。
新作刀入念作とはそう言う存在なのです。
そしてどの御刀も大変よく研がれておりました(私なんかが言うのもなんなんですが・・・すみません)。
特に下地研磨についてですが、現代の研師に対し度々言われる「最近の研師はまともな下地が出来ない」との言葉。
新作刀の入念作を見る人が増えればこういう言葉も減って行くでしょう。
大変勉強に成りました。ありがとうございました。
あと4時間くらいはじっくりと拝見したかったです。
解決
HP諸問題解決