ひごてる
本日は研ぎ場にて「肥後守藤原輝廣作」、薄錆身の槍を拝見。
肥後守輝廣は美濃の出身で京の埋忠明寿門と言われ(否定する説もあります)安芸へ移住します。
初代が肥後守輝廣、二代以降は播磨守を受領しています。
肥後輝はとにかく在銘の品が少ない幻の名工的な存在で、昭和63年発行の「肥後守輝廣とその一門(得野一男著)」で、刀では3口しか知られて居ないとあります。
重刀図譜では平成14年第48回重刀時点で、刀2、脇指2、薙刀7、短刀1、槍4の指定が有ります。(脇指の一振りが30.1センチ、短刀は33.3センチと表記されています。誤記かどうかは分かりません)
昭和33年の第一回重刀時点では解説の中で、全在銘作合わせても10指をこえないと言う事が書かれておりますが、昭和43年の第17回の解説では「20点に満たない」にまで増えて来ています。
その後、昭和51年24回の時点でも「20点以内である」とされています。
29回以降48回までで肥後輝の重刀指定は有りません(その後の資料は持っていませんので分かりません)。
本日拝見した槍は新発見の品ですので現存稀な肥後輝の一振りに加えられる貴重な物と言えます。
しかし名工と言われながら何故これほどまでに数が少ないのでしょうか・・・?(贋物は沢山ありますけど)
結局あれでしょうか。銘を消し大磨上無銘風に茎を仕立てられ、相州上工になっちゃったんですかねぇ。(でも良く似た人に相模守政常が居ますが、この人も刀は殆ど有りません。この手の人は短刀や槍、薙刀が上手でもともとそれらばかりを多く作っていた人なのかも知れませんが)
本日の肥後輝はいかにも新古境の美濃伝と言う匂い口の沈む物で、こちょこちょと働く刃を湾れでつなぎます。
肌は槍ですので柾基調ですが、若い槍に見る整った柾とは違う野趣を感じます。
総体に沈む雰囲気でそれがたまらなく良いと感じる品でした。
しかしまぁ総体に沈みしかも野趣満々な出来を”良い”と言い出してしまうと「刀の美とはなんぞや」と言う事になってしまう訳で、刀の価値観を何処に見出すかは単純ではないですね・・。
好みとは多様な物だと言う事でご容赦下さい。