応永太刀

備前物、応永年紀、生茎の太刀を拝見。
刃長二尺三寸七分、反り一寸一分。
重ねは約8ミリ。とにかく減っていない完璧な太刀です。
上身はもちろんですが、茎の良さに驚きました。
備の直ぐ上に太刀鐔の跡がありますが、それ以外は非常に状態が良く。
もちろん茎の反り伏せもなく、茎尻の棟先まで完全な反りを残しています。
茎尻は浅い栗尻。中ほどから茎尻にかけて絶妙に絞った風に、茎尻が微妙に張り気味で力強く感じます。しかし茎尻側から見て確認すると絞られていない。この力強さは茎棟先端一寸の反りのなせるところです。鎌倉太刀じゃなく応永にもこんな茎があるのですね。
生茎在銘は尊い。



末備前

度々書いた事がありますが、末備前にはあまり関心がなく今まで来てしまいました。
何故という理由は分かりませんが、”大和物が好き”、みたいなものだと思います。特に理由はないです。
あ、一つ上げるならば、戦国武将好きじゃないからかもですね。
文亀永正大永享禄天文弘治永禄、元亀天正文禄、こんな年紀がバンバン入る末備前を見て、ゾクゾクっとしない戦国好きは居ないと思いますが、それが無いのは大きいかもです。
ただそんな私も数年に数口、これはヤバいと思う末備前に出会います。
思い返してみますと・・・全く減っていない某俗名入祐定刀、全く減っていない俗名入賀光脇差、蔵から出て来たばかりの激烈に重い清光刀、某御宮様の祐定脇差、某御宮様の在光剣、某御宮様旧蔵の某光太刀。
何年でこれだけかを考えたら、7年程度でした。
これらを思い返すと私が感じる末備前の魅力は「減っていない古刀」にあるようです。
そんな中、世に出ず眠っている某末備前合作脇差を拝見。こんなのがまだ眠っていますか。。
いいですね、末備前。



刀の撮影

色んな経緯があって、大阪南堀江にある「STUDIO GIVE」さんにお邪魔して、カメラマンの野田正明さんによる刀の撮影を見学させて頂きました。
詳細は書きませんが、やはりプロの”こだわる”仕事は凄いですね。とにかく何から何まで勉強になりました。こだわりを諦めたら終わりです。こだわって研ぎをしなければ。。

お許しを頂いてモニター画像を一枚。

刀の写真撮影は既に明治時代から行われています。(詳細は刀美743号「日本刀の記録の歴史と今後の展望~押形の再評価について~」井本悠紀)
当初は単に刀身全体を写しただけのものでしたが、銘を鮮明に記録する、地肌を写し出すなど、刀剣写真への要望は高まり進化してきました。
現在目にする刀身画像はスキャナーによる物の方が多くなっていると思いますが、先日の撮影を拝見していて、カメラによる刀剣写真の今後の可能性を強く感じました。
展覧会図録などでは「写真のクオリティーの優先順位は必ずしも高いわけではない」という悲しい実情ですが、せっかく美しいものを扱う刀の世界なのですから、より美しく記録された写真で世に送り出して欲しい、そう願います。



古青江

古青江の守次×2,為次、貞次、包次、行次、無銘古青江と妹尾行国を鑑賞。
古青江の地鉄は縮緬肌と呼ばれる独特の風合いが特徴で、誌上鑑定では「独特の肌合いを呈し」などの様に、暗に縮緬肌と分かるワードで古青江へと誘導されるため、入札はそれほど難しいものではありません。
しかし刀の茎を隠した実際の入札鑑定では、地鉄の質感を自らの感覚で的確に判断しなければならず、それを根拠に古青江へと入札をする事は難易度が高いと感じています。
研師なのに今さら縮緬肌が難しいなどというのはちょっとどうかとも思うのですが、私は苦手で。。
今回も縮緬肌を感じようと意識を高めて鑑賞しましたが、やはり難しい。
古青江前提で見るので縮緬風を感じるだけで、古青江と知らずに見たらそうは見えないのではないか?また、古青江だからそう見てしまっているだけで、実際は他の同時代の地鉄と差が無いのではないか?などなど色々思ってしまい。
ただしかし独特の風合いがあるのは確かで、もっと感覚の解像度を上げて鑑賞の経験を積む必要がありそうです。
研ぎ疲れが原因の肌荒れ状態に関しては、古青江と他との違いは分かりやすく見分けがつきます。その原因が材料なのか製作工程によるものかは不明ですが、縮緬肌とも関係しているのかも知れません。