お地蔵さん

京都市内をお散歩していると、お地蔵さんが沢山あります。
それがまぁやけに沢山あって少し歩く度に次々現れ、場所によっては一度のお散歩で何十体と横切る事に。
ネットで検索してみたら趣味で記録している方がいました。
京都のお地蔵さんmap ~西陣を中心に~ – Google My Maps
凄い数ですねぇ。

そのお地蔵さん達、全てではないのですが結構な割合で写真の様にお顔が描かれています。
日々沢山見るので撮る事もあまりないのですが、かなり面白いお顔だったり、何教?!という感じの色使いで思わず足を止めるお地蔵さんも。
私京都生まれじゃないですし詳しい事情を知らず、近所のお爺お婆が良かれと思い勝手に塗っているんだろ程度に思っていたのですが・・・。
これは「化粧地蔵」といってちゃんとした風習だそうですね。全然知らず誤解していました。。
毎年の地蔵盆で子供らや当番の人がお顔を塗り替えるそうです。そういえば近所の駅前のお地蔵さん、度々お顔が変わっているなぁと思っていましたが、そういう事でしたか。



苦しい事は記憶に無い

大太刀や長刀に大薙刀など、分割してスキャンした全身押形をPCで繋げていたのですが、改めて考えるとよくこんな大変な採拓作業をやったなぁと。。

全長170㎝超の長刀

今まで深く考えて来なかったのですが、おそらく集中して何かをやっている時の記憶はあまり残らないタイプなのかもです。
だからか、あの時のあの押形は大変だったぁなんて記憶は無いです(出先での採拓だけは何故か全ての作業について鮮明に覚えています)。
でなければかなり大変な全身押形採拓ばかりやろうなんて思わないし、苦しい作業の多い研磨仕事も一日過ぎれば何事も無かったようにまた研ぎ台に上れないですし。色々都合の良い記憶の構造です。



大和物

在銘大和物の古い太刀の全身押形を2口採拓。
以前は大和物の押形は比較的簡単だと感じていたのですが、今回は2口とも難しい。

うち1口の研磨が非常に良い。おそらく某派の研師の研磨。
昨年来この研ぎをやりたく、色々試して来ましたが出来ず。
極最近このタイプの研ぎをする方とお話しましたが、仰る事は普通の事。ちょっとお話を聞くだけで出来るなら修行は要りません。(もちろんどうやっているかを聞けるなんて思っていません)
何年も何十年もかけて完成された技術をポイッと教えてもらえる人は、その凄さを分かっていない事が多い。
今の100倍感謝した方がいい。

押形とは別の大和物の在銘太刀の研磨。
これは貴重な体験で、普段の大和風では全くなく。西風。
てか西なのかも。



3月支部鑑定

都合により入札出来ず。

1号 短刀  銘 信国
         応永三年八月日
2号  刀 無銘 信国(南北朝後期)
3号  刀  銘 廣幸(平安城弘幸)
4号 脇差  銘 城州住政国
5号 脇差  銘 於大坂和泉守国貞作之

今回は南北朝後期の信国と応永信国の出題(応永の方は源左衛門尉と式部丞以外の信国です)。初代信国以降応永迄の南北後期信国は複数居ます。初代は基本直刃か湾れを焼きますが、応永信国のあの特徴的な互の目は既に南北後期から現れ始めています。
今回出題の南北後期信国も既にニコイチの互の目が始まっては居ますが、未だ明瞭ではないという作風でした。応永信国は応永然とした作風。2口並ぶ事により両者の違いや共通点を比較する事が出来ました。
廣幸は弘幸の後期銘です。堀川物らしくザングリとした肌で、刃文は国広に近く大変出来の良い作品でした。
城州政国は国広の弟国政の弟子といわれ非常に珍しい作品。入札鑑定の出題刀としては難易度が高いですね。