津どい
支部会報準備。
ブルーライトカット率の高いPCメガネを使用しているが、もう目が見えん。
新身新藤五
「国光」と二字銘。
銘振りから新藤五とわかりますが、銘に研究の余地があるものだそうです。
寸の割りに幅広でズングリとした姿は粟田口の短刀にありますが実はこの国光、重ねが大変厚く計測を逸してしまいましたが名物「厚藤四郎」ほどあったかと思います。
私には時代がある様に見えるのですが、新刀ではとの意見もあるそうです。
時代が有るとすれば、粟田口?新藤五国廣? 若ければ埋忠?
とにかくこの重ねが悩ませてくれるのです。
江戸時代には”厚新藤五”或いは”新身新藤五”などとして伝わっていたかも知れませんね。
銘の真贋が重要なのは当然ですが、そこで止まってしまうのはもったいないですね。 楽しみ方は様々です。
この押形は以前描かせて頂いた物ですが、とにかく大変出来が良く楽しめる品ですので所有者のお許しを得、UPさせて頂きました。
再び、島津正宗について
またですが、ちょっと見落としていた事で。
今回のニュースをネットの記事で見た時、刀身スキャン画像無しの記事を読んでいました。
それで、継平押形と図説刀剣名物帳を開き押形を見比べ、この二つの刀は同一では無いと言う事で「(継平押形所載の島津正宗は)図説刀剣名物帳に載っているものに茎形状など似てはいますが、刃文や造りこみ、それに目釘穴の位置が大きく異なり別の物ですね。」と先日のブログに書きました。
それで、先ほどネットニュースにUPされている京都国立博物館提供の島津正宗の全身スキャン画像をはじめてちゃんと見たのですが、図説刀剣名物帳で参考のためとして掲載されている押形に酷似していました。
スキャン画像が小さいためよく分かりませんが、多分同一かと。(画像がかなり小さく、樋の有無すら確認出来ないので、別物の可能性もあります。しかし、図説刀剣名物帳の目釘穴位置、穴埋め位置、細直焼き出しに腰刃風や横手下の刃文などが酷似)
図説刀剣名物帳発行が昭和45年ですので、この刀の存在は既に当時から知られていたが、島津正宗であるとの断定には至っておらず、この度晴れて断定されたと言う事なのかも知れません。
その辺の所を研究紀要などで読めたら楽しいですね。