浪人之図
今日は絵を譲って頂いた。 刀の絵である。
浪人之図。
ここに座れば毎日見られる。
一振り欲しいと言う気持ちが収まった。
一振り持ったわけだ。
よい拵えは気持ちが落ち着く。
今日は絵を譲って頂いた。 刀の絵である。
浪人之図。
ここに座れば毎日見られる。
一振り欲しいと言う気持ちが収まった。
一振り持ったわけだ。
よい拵えは気持ちが落ち着く。
歴博で展示されたいた長い物の一つに見覚えのある調子の刃取りを見た。
http://kyoto-katana.at.webry.info/201209/article_11.html
↑おそらくこの研師と同じ人だと思う。
刃取りの調子には研師の癖が現れるもので、特に強い個性を持つ場合見分けが付く。
上記旧ブログに書いた刀をその後研ぎ直したわけだが、同じレベルの刃取りに持って行く事が出来なかった。
この事でも分かる様に、刃取りの形は刃文の形によって決まるものではないわけだ。
最近派手な刃取りを嫌う内容の発信を度々見る。
そう言う発信をする人が、これは良い仕事だとする物は、酷い仕事の事がままある。
刃取りとは大変難しく、非常に長い年月の修行を要する。
数年程度では刃取りの白い形を作る事すら出来ない。
やりたいが出来ず、全く白くなっていない常態の物をすばらしいと発信してしまってはまずい。
こう言うレベルの物は好みなどと言うところを超えている。
私も刃取りが派手だと揶揄されるタイプの研師だが、実は本人は差込研ぎが好みなのだ。
本日は11月1日より大阪歴史博物館で行われている、お守り刀展覧会に行きました。
初日にも行きましたが、見たいポイントが新たに発生したので。
新作刀の研磨は難しいと思います。 下地も当然そうなのですが、仕上げの方向性が多様なのです。
古い刀は、研師が”こうだ”と言えばそれが正解となる事が多く、また実際それが正解の場合が多いでしょう。
新作はそうではないと私は思っています。 今日見た展示解説は作者自身の言葉によるものでしたが、「作刀は刀匠が発する言葉、出来上がった作品はそれに対する返事」という様な内容がありました。
刀匠は良い返事を待っています。 職方は良い返事が出来るよう最善を尽くします。(展示解説の趣旨はもっと深いところです)
先日来描いていた太刀の全身押形が完成。
その後PCに取り込み。
ついでに他二振りの太刀を取り込み。
準備が整えばUPします。