明寿さんは
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↑ここに「他へ渡すべからず」の事を少し書きましたが、明寿の刀は一振りしか無いのに何故上手いのかがちょっと疑問でした。
職人の仕事は数をこなしてこそ腕が上がります。
江戸期の塗り鞘などは大した拵えではなくとも大変上手い。
毎日毎日大変な数を塗ってきたからです。
刀の研ぎで分かり易い部分で言うと、例えば棟先とハバキ元の化粧磨き。「流し」などとも呼ばれます。
趣味で研がれている方からは、難しく作業に時間が掛かると言う話はよく聞くものですが、普段研いでいて、自分で下地をした刀への化粧を失敗してやり直す事はめったに有りませんし、短時間でスススと入れる程度のものであり他の研磨工程に比べれば難しい物ではありません。
で、計算してみたのですが、極小範囲の部分研磨にお預かりした刀でも、化粧が悪ければ大体入れ直しますので、少なく見積もっても今までに2万6000本以上は、練習じゃない本番の化粧磨きを入れているわけです・・(化粧磨き本数、私の場合短刀6本、刀・脇指28本)。 そりゃ失敗もしなくなります。
明寿の刀は一振りしか残っていませんが、凄い姿です。
一振りしか造らずあの姿が出せる訳がない。
では沢山造ったが一振りしか残らなかったのかと言うとそうでも無い気がします(わかりませんけどね)。
結局、古刀の磨上を沢山こなし、絶妙なバランスを身に付けそして慶長新刀独自の姿を生み出した訳なんですね。
なるほど。
姿については分かりましたが、では地刃はどうなんでしょうね。
短い物は出来ても長い物は全く違うと刀匠さん達からよく聞きます。
やはり他にも長い物を沢山造ったのでしょうか。 それとも代作か?
槍
仕事場にて無銘の槍を拝見。
手の掛かったよい研ぎです。
槍の市場価格は刀や短刀などに比べるとかなり安い。ましてや無銘となると・・。
そして、上研ぎや鞘などの工作料は刀に比べかなり割高となります。
研ぎで言うと槍は面の数が多かったりケラ首周辺の研ぎに手間が掛かるためで、良い研ぎに掛けるとそれなりの額になり通常の無銘の槍ならば、殆どの場合槍自体の価格より諸工作代の方が高くなります。
と言う事は槍に対する良い研ぎは間違いなくその槍に対し特に思い入れの強い人が掛けたわけです。
と言う事で、先日のブログで少し愚痴っぽい事を書いた事を反省。
私も過去何度も「無銘の槍に上研ぎを掛け大切にする」、こういう方に出会っています。
腐らず研ぎ続ける事です。
久々に砥石を
皆で砥石を買いに出かけた。
マーチン君はこれだけ天然砥石に囲まれるのは初めてなのでテンションUPです。
私も中山のコッパを500だけ購入。まだ試しては居ないが痛恨のサンプル忘れで期待は薄い。
マーチンのコッパは帰宅後試したが非常に良い上げ艶だった。
それにしても内曇の値段はどんどん上がって行く・・・。コッパで言うと以前の2.4倍の値段になっている。
刀の値段は下がり砥石の値段は上がるし、丁寧な仕事の価値が理解され難い風潮もあるし、困ったもんだ。
物打や腰の刃が異様に眠くなった刀に度々出会うが、昔は武用のみを考えた結果、刀に火を入れる人が居たのではなかろうか。とは言え全てではないので一部の人、或いは一時期の流行程度だろうか。
時には刀の全身が非常に眠くなっている事もあり、焼きの高い華やかな作にも少なくない(茎味は良く、火災に遭ったわけではない)。
作者自身が合い取りを失敗するとは思えず、後の時代の所持者が折損を恐れ、その求めに応じ火に掛け刃を弱くした様に思う。
こういう刀は大抵研磨で刃の明るさをそろえているので気付かれる事も少ないが、案外多い。