歴博へ

本日は11月1日より大阪歴史博物館で行われている、お守り刀展覧会に行きました。
初日にも行きましたが、見たいポイントが新たに発生したので。
新作刀の研磨は難しいと思います。 下地も当然そうなのですが、仕上げの方向性が多様なのです。
古い刀は、研師が”こうだ”と言えばそれが正解となる事が多く、また実際それが正解の場合が多いでしょう。
新作はそうではないと私は思っています。 今日見た展示解説は作者自身の言葉によるものでしたが、「作刀は刀匠が発する言葉、出来上がった作品はそれに対する返事」という様な内容がありました。
刀匠は良い返事を待っています。 職方は良い返事が出来るよう最善を尽くします。(展示解説の趣旨はもっと深いところです)

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先日来描いていた太刀の全身押形が完成。
その後PCに取り込み。
ついでに他二振りの太刀を取り込み。
準備が整えばUPします。

 



鎬地の仕上げについて

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先日来描いている太刀、とりあえず刃文はつながった。

兵部2
こちらは近日研磨記録にUP予定。

さて、先日研磨させて頂いた古い太刀。
依頼者の希望で鎬地に磨きを掛けず、平地と同じ様に拭いで終了としました。
地肌は比較的詰んだ板目で潤う杢混じり。鎬地も同様です。
平地に錵映りが強く出、鎬地にもよく出ています。
鎬地を磨き潰すのが惜しいと感じる刀には度々出会います。しかし本当に磨かずに仕上げたのは今回が初めてです。
仕上がりの雰囲気は直刀に近いでしょうか。
個人的にはこれは有りだと感じました。
むしろ昔はこういう仕上げであったのではなかろうかと。
鎬地が美しく無い作刀方の刀のために磨き棒による磨きが考えられただけで、美しい鎬地を持つ刀は磨き無し仕上げだったのではないか、などとも思います。
依頼者は、新刀を古刀に化けさせるための発案が鎬地の磨き仕上げではないかと仰っていましたが、それもおもしろい視点です。 石堂の柾を磨き潰し、一文字に持って行く。

あまり手の掛かっていない研ぎの刀。
鎬地の磨きの上から内曇を引くと、筋交いの荒い砥石目がどっと出て来るのが普通です。
研師の目には磨きの底に沈む砥目は見えて居るものですが、一般の鑑賞者には見えないものだと思います。
針磨きは鎬地の本当の表情を見る機会を奪っているとも言えるわけです。