鉄色を
鉄色とはかなり複雑で一筋縄では行かないものです。
鑑定上、”北国物は地鉄が黒く”などと簡単に言ってしまうものですが、安易に使い過ぎるのはまずいと感じる事も多くあります。
以前TVで見てそれをブログに書いた事がありました。http://kyoto-katana.at.webry.info/200908/article_3.html
眼の錯覚って凄いですね。 刀の研ぎはこの上記ブログの様な事の連続です。
正直な所、私はあまり几帳面なタイプではありませんので仕事でもデータに基づくよりも経験と勘に頼るタイプです。(聞こえは良いが少々アバウトですか・・)
ただ、鉄色に関してはそれだけでは補いきれない面もありますので、少し鉄色を確認しました。
とりあえず12種の鉄を。
中名倉。この段階ではどんな色の鉄も判断出来ない。
地艶。
今回の中では2と十一が一番白い。
ただ、拭いが入るとまた色は変わる。拭いによく反応する鉄は黒くなる。
また、白熱灯にかざすと全く別の表情を見せる鉄も多い。垂直に蛍光灯で見ると全く確認出来なくとも、白熱灯で透かせば明瞭に見えてしまう鉄もある。
鉄の錵付きや映り、疲れに硬さに肌目・・・。要素は多数です。
法隆寺へ
ブログが久々になってしまいました。
毎日朝から深夜まで必死の研磨です。一週間がとにかく早く過ぎて行きます。
いつだか長い連休でしたがほぼずっと仕事でした。体に悪いですね。
先日は少しお休みさせて頂き、電車で奈良へ。法隆寺です。
行った事なかったんです。
是非見たかった西円堂。
金堂や五重塔より西、あまり人が来ない雰囲気の小高い丘の上にありました。
昭和60年、東京国立博物館で特別展観「打刀拵 ~刀剣外装の美~」が開催されその後、時代拵好きの方なら必ず持っている図録「打刀拵」が刊行されています。
この図録打刀拵に載っている法隆寺西円堂内の古い写真をはじめて見た時のワクワク感は、何度この写真を見ても変わる事は無いですね。
堂内に安置される薬師如来坐像の頭上壁面などに掛け連ねられた刀や鞘、その数6000口以上。
これらは室町期から明治までに奉納された品で、全てが錆身。
拵えも傷んでいる品が多いのですが、それらは修理を行っていません。そのため奉納当時の状態が分かる品が多く大変貴重な資料となっています。(現在これらの品は収蔵庫に保管)
先日ブログで紹介した「日本古文化研究所報告. 第8 法隆寺西圓堂奉納武器」のP94に西円堂修理前の堂内写真があります。(西円堂は昭和十年に修理が行われていますが、その時奉納武器の調査も同時に行われ、その記録がこの書です。)
残念ながら、現在は堂内に入れませんし堂内撮影禁止の看板がありましたので内部の写真はありません。
必死で金網に鼻を突っ込んで、冷たく重くかびた空気を吸って帰りました。
以前ブログで紹介した拵えです。
鞘のみ残されていたのですが、古い様式で全体を復元しています。
この鞘は西円堂から流出したと言われる品だそうです。
「日本古文化研究所報告. 第8 法隆寺西圓堂奉納武器」のP107、109、110辺りの品に近似します。
京都支部 入札鑑定
例会。
一号 刀
新々刀。以前拝見した事が有る品か。低めの丁子に映りがよく出る。
宗寛と入札。
二号 脇差
鎬造。バランス的に通常の鎬造脇差より短い。尺三、四寸か。梵字や樋を重ねる。
姿や彫りのバランスから少し国を迷う。が、刃は備前なので。則光と入札。
三号 脇差
平身。薩摩新々。
地鉄が綺麗。奥元平と入札。
四号 短刀
細く、重ねが厚く、そして少々長い。(9寸3分)
室町期の所謂鎧通しだが、少々長い。以前拝見した品だと思う。
土佐吉光と入札。
五号 短刀
重ね尋常。長さは定寸。しかし少し幅を広く造り込み、フクラも張る。
広直刃錵付く。刃中に葉。
地刃は末古刀だが姿が新々刀。
全く分からず・・・。
絶対間違っている事は分かって居るがとりあえず何か書かないといけないので越前兼植と入札。
当
準然
然
当
イヤ
五号はやはり全く分からず、千子正重に入れてみる。
当
準然
然
当
イヤ
五号は現代刀と教えて頂いた。備前伝が得意な人だそう。
全く一切気付かずでした。 今泉俊光と入札。
当
準然
然
当
然
一号 刀 泰龍斎宗寛造之 文久元年三月日
二号 脇差 備州長船盛光(磨上在銘)
三号 脇差 薩州住正良 安永五年申八月日
四号 短刀 吉光(土佐)
五号 短刀 源義宗 昭和十二年五月日
鑑賞鐔
梅花透鐔(二代 林 重光)肥後金工大鑑所載
武鑑透鐔(三代 無銘 藤八)肥後金工大鑑所載
鑑賞刀
太刀 平安駒井法眼慶任作
慶任の作は京都に居れば、極希に拝見したり、錆身が出て来て研がせて頂いたりする事はありますが、現存品の少ない刀工です。