色々拝見

某日、研ぎ場にて幕末の紀州三工を拝見。
元禄頃以降、享保頃は少し盛り上がりがあるもそれ以外は日本刀低迷期といえ、日本全国の作刀数も減っていたと思われる。
日頃目にする刀もその時期の品は極端に少ない。
幕末に入り需要も増え各地で多くの刀が造られていて、刀剣美術誌に取り上げられる郷土刀の研究もこの期の物が多い。
この様な研究には文献資料も大事だが実刀が最も重要で、世に知られていない刀の価値を理解し収集される方は本当にすごいと思う。

研ぎ場にて兼光を拝見。
何に見えますか?と問われ、同国別の銘をお答えしたが、やはり地鉄の格を見なければならず、反省する。

出先にて当麻、古備前在銘太刀を拝見。
ずっと言っているがやはり当麻は好きな刀だ。
大和物は五派それぞれに特色があるが、共通点やほぼ完全に重なる作風もある。そしてどの流派でも無銘が大半であるために、何を重視するかで極めが五派内で動くものだと思う。(まぁこれを言い出せばどの国どの時代でもそうなのだが)
そんななか、この当麻は典型作だと思うのだが、こういう品を見るたびに巷で度々聞く”大和物は人気が薄い”との言葉が信じられない。
本当に?よい大和物を見た事が無いんじゃないの?

研ぎ場にて古備前在銘太刀を拝見。
大変良い地鉄。
もちろん時代出来位とも最上の古備前だが作風的には光忠や守家に近いものも感じ、大変興味深い。
後で図譜等を調べてみると古備前にはこの手の出来もまま有るようで、作風の幅広さを知った。

研ぎ場にて山浦系の大変珍しい錆身を拝見。
刀美で調べてみると、どうやら現存数振りの品でこれが新発見の一振りに加わる事になりそうだ。

錆びて眠っている刀には、貴重な品も多数ある。
朽ち果てる前に何とかしましょうよ。



粟田口は青いか

「粟田口は青い」とは古い時代から言われているが、現代の研磨で本当にその鉄の青さが分かるのだろうか。
そもそも拭いが入ってしまった後の鉄を見て鉄の色を語ってよいものかどうか、疑問に思ってしまう。
拭いとは研磨材の微粉末で、前工程の地艶終了後に行うが、拭いの前後で刀身の色は大きく変わる。
地艶が終了した時点では刀身の色はグレーに近いが、拭い工程により一気に黒味を増し、色としては前行程とは全く別の物になってしまう。

一般にいわれる北国物の黒味も研ぎ上がった状態の刀身、即ち拭い工程以降での色を言っているわけで、厳密に言えばその意味は鉄の色よりも鉄質を指しているといえないだろうか。
例えば「拭いに反応しやすい鉄が多く含まれる」というような。
つまり「拭いにより黒くなりやすい鉄を多く含んでいるため、研ぎ上がった刀身には他の刀よりも黒味の強い肌が目立ち、そのため北国物は黒く見える」と。

拭い以降では鉄本来の色が見えないとしたら、どの段階がよいのか。 荒砥でざっと研磨した状態か、下刃艶を刀身全体にあてた状態か、それとも下地艶或いは上げ地艶か。
その辺を深く考えた事がないので私には分からないが、少なくとも拭い以降に比べれば同条件に近い状態での比較が出来る段階はあると思う。
実際研磨していても仕上げのいずれかの工程で、青味の強い鉄、黒味の強い鉄を感じる事はある。

因みに、拭い工程を行う事を「入れる」「差す」などと表現する事からか、地肌の隙間に黒い拭い粉が入る事で刀身が黒く染まると思ってしまっている人も多いようだが全くそうではない。
研磨材は多種多様で色も様々ある。例えばホワイトアランダム、グリーンカーボン、ダイヤモンドパウダー、酸化セリウムなどの研磨材は拭い材料として単体でも使用可能だが、いずれも白っぽい粉末だ。
ホワイトアランダムなどはその名の通り真っ白な粉末で、肌目に粉が入るならば刀身は真っ白になってしまうところだが、残念ながらホワイトアランダム単体で刀身を擦ると刀身は真っ黒ピカピカになってしまう。
Wikipediaで”差し込み研ぎ”について見てみると、これまた地肌の隙間に対馬砥の粉を挿し込むと言うような事を書いているが、これも間違いだ。
確かに対馬砥の粉は黒っぽい色をしているが、真っ白い細名倉砥の粉末でも同じように差し込み研ぎは可能である。

最初に書いたが「粟田口は青い」、これは昔から言われているが、昔だからこそ見えた色ではなかろうか。
今ほどは研磨のバリエーションが無かった時代。拭いの後であったとしても、鉄本来の色に近い色を同条件で比較する機会も多かったはずだ。
現代の研ぎを見て、粟田口は青い、現代刀は白いなどとあまりに簡単言ってしまう場面に出くわす度に色々考えてしまう。
ただもしも、「私には見えている。お前には見えていないのか? 研師のくせに。」などと言われてしまうと、もうそれ以上は何も言わない方が無難そうだが。



地鉄の黒味

昨日ブログで「地の黒味」について少しだが触れてしまったので補足をしておきたい。
越前や越中などの所謂北国物等の解説に「地鉄が黒い」という表現がよく使われる。
例えば誌上鑑定などは答えへと誘導するためにあえて分かりやすくお決まりのヒントを使うもので、北国物が出てくれば大体は「地鉄に黒味がある」などのヒントを入れる。
これは出題者のサービスで、その出題刀を実際手に取って見た時、必ずしも黒味があるとは限らない、くらいに思っておいてもよいのではなかろうか。

刀の色は研磨によってかなりの違いが出る。
内曇り工程の時間や引き方、砥質。地艶の時間、力、質、厚み。拭いの材料、時間と力。
これらの組み合わせは無数にあり、それぞれで仕上がりの色は異なり、白くもなれば黒くもなる。
しかし、北国物の地鉄が黒いという見方は、この研磨による黒みとは違う事を言っている。
研磨の違いに関わらず、やはり黒い鉄には黒さがあるわけだ。
しかしそれは、同条件で多数を比較した経験がなければそう簡単には見分ける事が出来ないと思う。
それぞれ違う研師が違う研ぎ方で研磨し仕上がった刀での比較は、どうしても研ぎによる色の違いに惑わされ、難しい。
”いやいや康継の刀はいつも黒いではないか”
果たしてそれは本当に鉄の色を見ての事だろうか。
研師は刀に合った研ぎをするとはよく言うが、”色”もそのように操作する事は多い。
北国物を北国物らしく研ごうとすれば、拭いはしっかり効かせ、黒味のある印象に仕上げる。康継などは普段より黒めに拭いを入れる研師も多いと思う。
因みに昨日も書いたが私は入札鑑定の時、地の黒みを入札の決め手にする事は無い。それはあまりに難し過ぎるので。入札に苦しんだ時の慰めに使うくらいか。