秀末(古波平)

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短刀、銘 秀末作
     貞和五巳丑 (南北朝時代)

23回目。
秀末は銘鑑に記載がなく、所謂銘鑑漏れなのですが、古波平の刀工と聞いています。
銘鑑に無い刀工の作にも名品はあり、この短刀などは正にそれでしょう。
2019年1月京都府支部入札鑑定の二号刀に波平が出ました。
その時のブログに「先日研磨させて頂いた波平の南北朝年紀入りと大変よく似た地鉄」と書きましたがそれがこの短刀です。
結局一の札は西蓮としましたが、この短刀もそういうクラスの地鉄です。



古波平

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薙刀 無銘 伝古波平(木下勝俊所用 / 高台寺蔵)

22回目。
大和鍛冶は鎌倉末期から室町時代にかけて各地に移住し、志津、宇多、浅古当麻、美濃千手院、入鹿などの一派を成し繁栄ました。
しかし平安時代の末期、既に千手院鍛冶が薩摩に移住し波平一派を築いています。
波平の作品は南北朝時代より古い物全てを「古波平」と呼びますが、言い換えると「平安末期から南北朝までが一括り」ともいえ、この様な流派は他にはなく特異な例です。
それはこの一派が伝統の作刀技術を守り続けたため作風の変遷が少なく時代判定が困難なことと、なにより一つの流派が途切れる事なく存続し続けた事によります。

この薙刀は最低でも三〜四寸程度は摺上げており現状二尺三寸六分ですが、元重、茎重ともに大変厚く、今なお豪壮さを保ちます。
地鉄は非常に柔らかく、刃寄りの柾肌に絡み二重三重四重と綾杉状の働きを見せ、古波平特有の出来口を示します。

豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)の甥、木下勝俊(長嘯子)の所用として高台寺に伝わる品で、刃や平地に強い切り込み痕があり、本薙刀のかつての活躍が偲ばれます。

高台寺
高台寺掌美術館



金房

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大太刀、無銘 伝金房(本能寺蔵)

21回目。
室町時代の大和物に金房一派があります。
この派の詳細は不明ですが、手掻系といわれています。
作風に大和色は薄く、末備前や末関、平高田などに似る作を多く見ます。

この太刀は刃長三尺四寸六分と長大です(茎先を切断しています)が、重刀指定の金房の作に類似の品が数点あり、種別はいずれも薙刀です。
本太刀も種別を薙刀にと思いましたが少し気になり、大太刀を多数所蔵する日光二荒山神社の「二荒山神社男体山頂鎮座1230年記念 宝物館開館50周年記念 宝刀譜」(平成24年)を確認をしました。
宝刀譜にはこの太刀と同形状の物を多数所収(寸はもっと長大な物が多い)、それらは全て大太刀と記され、また小川盛弘先生の解説に「長巻の柄が付けられた大太刀」との一文があり、やはり本刀は大太刀とすべきかと思います。【長刀(なががたな)とする場合もあるようです】

長巻の名称が出て来ましたので、薙刀と長巻について少し。
「長巻直し」「薙刀直し」という名称がありますが、 愛刀家の間ではこの区分が曖昧で、協会でも数十年前までは用語が統一されていなかったようです。

重要刀剣指定品には、薙刀形状の造り込で茎を切り詰めて刀に直した物が多数あります(横手の有るものと無い物両方を含みます)。
第1回指定品~60回辺りまでを確認したところ、第26回頃までは、同じ形状でも、「長巻直し」と「薙刀直し」の名称が混在していました。しかしその頃を境に「長巻直し」の名称は消え、全て「薙刀直し」に統一されています。

過去、刀剣美術誌上で、長巻と薙刀の違いについての論考が発表された事もありましたが、結論を明確にはしていませんでした(1987年刀剣美術誌第368号、「長巻と薙刀の相違点」辻本直男)。
しかし二荒山神社の宝刀譜では小川盛弘先生が「長巻=拵え名称」との見解を示されている通り、現在ではその様に考えられています。
また最近では京都国立博物館で開催された「京のかたな展」図録巻尾の用語集にも以下の通り記されています。(この用語集は単に過去用語の使いまわしはせず、今回の図録用に検討し収録されています)
【薙刀(なぎなた)】長柄武器の一つ。長大な棒状の柄(え)に刀身の茎を差し込んで固定する。長巻との分別は刀身部の形状ではなく、拵えによる。
【長巻(ながまき)】長柄武器の一つ。片刃で、長大な柄(つか)に刀身の茎を差し込んで固定する。薙刀との違いは刀身部の形状ではなく、拵えによる。

最後に、余計ややこしくなるかも知れませんが、一応書きますと。。

・薙刀状の刀身は横手の有無に関係なく全て「薙刀」。
・薙刀を刀に直した物は横手の有無等関係なく全て薙刀直し(「長巻直し」との言葉は現在は使用しない)
・薙刀拵入り薙刀は刀身と拵を合わせて「薙刀」。
・長巻拵入り薙刀は刀身のみをいう場合「薙刀」、拵は「長巻(長巻拵)」。
・長巻(長巻拵)に刀身(薙刀及び大太刀或いは長刀(なががたな))が入ったものは刀身と拵を合わせて「長巻」。

※長巻拵えとは、長い柄を細縄や革で巻いたもの。
※刀身は通常の刀形状で、茎が薙刀の様に長い造り込みの物を現在協会では長刀(なががたな)と呼称しています。

本能寺



包行(末手掻)

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短刀、銘 大和國住包行
     寛正ニニ年十一月日

20回目になりました。
また大和本国に戻り、末手掻の包行です。
室町時代に入り大和各派は衰退します。尻懸は則長と銘のある室町期の短刀を時折目にしますが、多くは数打ちと思われる物です。
また無銘の極めに「末保昌」とある品を見ますが多くはありません。
保昌の通字「貞」を銘鑑でみると室町時代に、貞清、貞次、貞光、貞材の記載があり、彼らが少ないながらも作刀を続けていたようです。
そんな中、大和五派中唯一手掻派が盛んに作刀を続けます。
銘鑑で手掻の包某を調べると室町期だけで90人を超え、包某以外の銘も多数あり、その繁栄ぶりがうかがえます。