百錬精鐵 刀匠 月山貞利展 

会期:令和2年10/28(水)~11/3(火祝)
会場:日本橋髙島屋S.C. 本館6階美術画廊
   〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4番1号
    TEL:(03) 3211‐4111
※最終日は午後4時閉場

(以下、月山日本刀鍛錬道場HPより転載)

月山鍛冶は鎌倉時代初期の鬼王丸を祖とし、奥州月山の麓で鎌倉、室町期に栄えました。月山鍛冶の最大の特徴は、刀身全体に波のように流れる「綾杉肌」で、月山鍛冶の鍛えた刀身に顕著に現れることから、月山肌とも呼ばれます。江戸時代に入ると月山鍛冶は様々な要因から影を潜めますが、松尾芭蕉の「奥野の細道」に「此国の鍛冶、霊水を撰てここに潔斎して剣を打、終に月山と銘を切って世に賞せらる」とあるようにこの時代にもその名は広く知られていました。

幕末の月山貞吉もこうした鍛冶の1人でしたが、天保期に大阪へ移住し月山鍛冶の再興を果たし、大阪月山の基を開きました。その後、月山貞一(帝室技芸員)、月山貞勝、月山貞一(重要無形文化財保持者)の各時代に様々な苦難を乗り越えながらも、月山貞利によってその尊い技術は現代に受け継がれています。

本展では約八百年続く綾杉鍛えの作品や月山家に伝わる刀身彫刻や日本刀各伝の作品を一堂に展示致します。また後継の刀匠月山貞伸の作品も同時に展示致します。

刀匠月山貞利が鍛え上げた渾身の最近作をどうぞご高覧下さい。

※期間中は月山貞利、貞伸のいずれかが在廊致します。皆様のご来場を心よりお待ち致しております。



則重

刀、無銘 則重

ブログでの全身押形紹介、研磨記録ページでは未公開の物ですが、今回で50回目になりました。
いつも丸筒に入れて保管していますので何枚あるか数えずスタートしましたが、こんなに採拓していたのですね。。
今回は鎌倉末期、越中の刀工則重です。

則重は正宗十哲の一人に数えられている刀工ですが、現在では新藤五国光の門人であり行光とほぼ同時代、同門の郷義弘や正宗の先輩格と考えられています。
短刀には比較的多くの在銘品が現存しますが太刀では数口しか確認されていません。
相伝上位の中でも一際異彩を放つその出来は、正宗以上に錵の変化が激しく、松皮肌と称される独特の肌合いを特徴としています。
今回ご紹介の刀は松皮ごころが然迄強くなく、多くの則重に見る刃錵が地に散り湯走りとなる作風とならず、錵は刃先に向かい降り注ぎ、煌めく刃肌となります。
本間先生が則重について「古伯耆或いは古備前にも結ばれる枯淡な刃文がある」と解説されていますが本刀はこれにあたり、若干沈み気味になりがちな則重にあって地刃ともに明るさが際立つ出来となっています。



京都非公開文化財特別公開

令和2年度 第56回 京都非公開文化財特別公開」が開催中です。
以前研磨させて頂きました賀茂別雷神社様(上賀茂神社)御所蔵の刀剣類も現在公開中です。
公開期間等は各公開場所により異なります、詳しくは下記HPをご覧ください。

 公益財団法人 京都古文化保存協会
 公開スケジュール



肥前忠吉大小(八代)

 刀、銘 肥前国忠吉
脇差、銘 肥前国忠吉

49回目は八代忠吉の大小です。
肥前上三代、つまり初代忠吉(武蔵大掾忠廣)、二代近江大掾忠廣、三代陸奥守忠吉、この三工の技量の高さは既にブログでもご紹介させて頂きましたが、肥前刀の凄さは代が下がっても作刀技術を高水準で維持し続けたところにあります。
これは刀工個々の技量もさることながら、原料の調達から人材確保に物流等々までを含めた産業としての完成度の高さといえるでしょう。
作刀数から考えて初二代の時点でこの産業としてのノウハウが既に確立されていたと思われますが、それを幕末~明治に至るまで続けているのです。
代を重ねた刀工は各地に存在しますが、その多くは代が下がるにつれ師伝から離れ平凡な作品になってしまいます。
しかし忠吉は四代以降も全てが肥前刀然とした作風で、いずれも高い品質を誇ります。
押形の八代忠吉大小は嘉永~安政頃の新々刀になるわけですが、上三代と変わらず一目で分かる肥前刀独特の直刃を焼き、地鉄は単に詰んだものにはならず、趣のある肌模様を頃合いに見せ、地錵が付き地景が入ります。
仔細に拝見しましたが、上三代に譲る点は皆無。改めて肥前刀の凄さを思い知る刀です。

初代忠吉
二代近江大掾忠廣
三代陸奥守忠吉
三代陸奥守忠吉