コアな的に 。

昨日、現代人に直刃を理解する感性が有るのか?と言う内容を書きましたが。
まじめに説明すると複雑だとは思いますが、昔の人も一目見て直刃Amazing!なんて思わなかったと思います。
どの時点で評価されたかの線引きは明確なのかどうかは知りませんが、一応古い時代も多くは旧来の踏襲と言うわけでしょう。
しかしです、古い時代には基本的に全ての物は手作りです。 身近にあるどんな物も一点一点手間を掛け作られた品です。
また一般人自らも大変な時間を掛け何かしら作った経験を持っていたはずです。
人が作った物を手に取ればその品がどう言う工程を経てどれだけの技術と日数で製作された物かと言う事を感じ取る事は当たり前に出来た事でしょう  



直刃

最近、古い直刃の短い物を研磨させて頂きました。
直刃の小さい物で昔から最上の評価を得ている刀工には新藤五国光や藤四郎吉光それに来国俊などおります。
それらを最上とした、刀をみる側のセンスは凄いですね。
仮に現代日本に日本刀文化が存在しなかったとして、ある日突然古い刀が膨大な量発見されたとする。
そしてなぜか研磨技術も今と同等にあり、刀は美しい物だとして受け入れる事になったとして、新藤五などの直刃をどこまで評価出来るでしょうか・・・。
現代人にその感性はあるのか。。(現在の評価は旧来の踏襲ですので)



乾かすかんじで

やりたい事も沢山あるのですがとりあえずやらないといけない事を進めております。
やらなければならないと自分に言い聞かせて進めているのが本当のところかも知れませんけど。。
先ほど書き上げた押形を本棚にはる。

画像

乾かす気持ちではありますが、実は押形って墨で描いても水墨画などとは違い水分は殆ど有りませんから乾かす必要もないのですが、すぐにファイルに入れるのも面倒だし全身だと置き場所が無いしと言う事で結構長期間ヒラヒラとしている事が多いです。(多分全身押形を描く方は「そうそう(^^)」と思ってくれていると思います)
下の短刀は珍しく手元に残る全身押形になります。
描く時は本当に長い時間かけて良い物に仕上げようと頑張るのですが、描き上げたものに対して全く未練がありませんので今までで手元に残って居るのは一枚だけです。 
これで二枚目。 (部分押形は自分用で記録として残させて頂いております。)
これって研磨の仕事によく似ています。
研ぎをずっとやってきたから頑張って書いた押形にも全く保存欲が無いのかも知れません。
あぁ・・でも一応PCには取り込んでますねぇ。 未練有りじゃないですか。。 そのへん大目に見てやって下さい。