先日、入札鑑定の記事は不評だと書いたのですが、「楽しく拝見しています」と言う内容のメールを頂戴致しました。
そうですかそうですか! そんな方もおられるのですね・・・。
「べつに読んでる人のために書いてるわけではない」 などと思いつつ、カチカチとキーを打って居るわけですが、こう言うメールを頂くと普通に大変嬉しいです。  
ありがとうございました。  
いつも読んで下さっている方々、度々メールを頂く方々・・・これを機により発展的なブログに・・などと言う事は全く有りませんが度々更新させて頂きたいと思います。 
よろしくおねがいします。 (いつも読んで頂きありがとうございます)
本日は、地引きと艶仕事。
地肌をどう持って行くかは誠に微妙な作業です。 
「こうしか成らない」と言う様な、可能性の狭い刀では無い場合研師の責任は特に重い。
と、言う訳で明日は全部やり変え。 ベストを見つける。
先日ある方からお借りした天然砥石を使う。
お借りしてからしっかり使うのは二振り目ですが、こんな石が有るのですね・・。
なんて引き易く、そして良い状態に成ってくれるのでしょうか。
刀剣研磨の場合、工程がある程度進んでから以降は天然砥石を使用するのですが、天然砥石は凄いんです。
どう凄いかを説明すると入札鑑定記事よりも不評になるのでこの辺で・・。



不評です

過去にも書いたかも知れませんが、押形の話題と入札鑑定の記事は誠に不評なんです。
押形の場合、「押形では刀がわからないので写真を載せて」と言う感じ。
入札鑑定に関しては、「読まずに飛ばします」が圧倒的なようです。
押形も入札鑑定も私は大好きなのですが、現実はこの様なものなのですねぇ。
入札鑑定の記事に関しては、自分の中での確認的要素が強いため、全く気にしては居なかったのですが、あまりに不評なため、最近はなるべく短い記事にしようとも思いつつ書いていました。
しかしちょっと思ったのですが、自分の研ぎ場で刀剣初心者の人に名刀を手渡して鑑賞してもらっても、大体数十秒以内に私の手にかえってきます。
多分私なら、場の空気が許せば10分以上は見ます。 もちろんそれでは時間が足りませんが。(鑑定ではありません。鑑賞です。入札鑑定では待っている方が居ますので一回に1分程度です。)
初心者の方は、刀の見所がわからないので鑑賞はすぐに完結します。
確認ポイントが増えるほど鑑賞時間も長くなります。
元々万人向けではないこのブログですし、入札鑑定の記事などはもう少し具体的に書いてもよいかも知れません。
私の場合入札鑑定の師匠は一切おりませんのでほぼ100%研磨の経験から来たものです。
自分では普通と思って居る見方も一般的では無い可能性も有りますのでヘンテコで面白いかも知れません。



平成24年2月19日 入札鑑定

一号 刀
長い。反る。二尺五寸ほどか。
新刀の地鉄。 長めに焼き出し。 丸い帽子。 かなり硬い刃。 
いつも見る通りの上野大掾です。 しかし柄が長い。
以前研がせて頂いた事がある、永正九代末葉を名乗る新刀の与三左衛門尉祐定の茎が異様に長かったのを思い出しました。(上野大掾祐定と永正九代末葉祐定は新刀祐定の双璧と言われます)
ちょっとこちらに入れてみます。
 永正九代末葉祐定と入札。
二号 刀
新々の備前伝。 彫り。
この辺の刀工の勉強は全然で、系統を覚えられておりません・・。
とりあえず、同じ形の互の目が十数センチ間隔で規則的にやって来ています。
 固山宗次と入札。
三号 刀
重ね少し薄め。 鎬高。 鋒延びフクラ張り、小鎬先も付いて行く(先天的)。
地詰み映る。 
末備前の刃。
全体に詰む地鉄ですが、差し裏の腰に一本白い筋。
これと小鎬の状態で備前には入れたくない・・。
 金房政真と入札(先ほど名鑑を見てみましたら金房に「政真」はおりませんでした。 ”正”。こちらなら居ます)。
四号 脇指
本造り脇指。 応永備前姿。
応永杢。  おとなしい刃。
 応永家助と入札。
五号 脇指
大鋒、幅広。
沸え出来の互の目(頭の丸い尖り交じり)。 かなりバサけ、刃中はあまり沸えず。 そのせいか少し沈む。   
古研ぎで地は伏してしまっていますが大きな白い肌が沈んでいます。
地沸えは目立たず。
普通なら薩摩に行きたい所ですがここまでバサける薩摩は未経験なので避ける。
 水田国重と入札。
 
 当
 然
 イヤ
 然
 イヤ
三号は末備前でしかないのですが、どうしても入れる勇気がない。
一般的なイメージよりも普通の出来が意外と多い同田貫上野介と入札。
五号。もう薩摩しかありません。
底に沈んで筋は有るのですが、その筋は丸くつながっているので正良・正幸は避けます。 
ここまでバサけると一番有名所は避けたいのですがどんな刀工が居ましたか・・・。
薩州國平と入札。
 当
 然 
 イヤ
 然
 然
三号はもう疲れましたのでこれ。
 祐定古刀と入札。
 当
 然
 当
 然
 然
 一号 刀   横山上野大掾藤原祐定    備州長船住人
 二号 刀   於江府加藤長運斎綱俊    天保十二年二月吉日
 三号 刀   備前國住彦左衛門尉祐定作 天正三年八月吉日
 四号 脇指 備州長船家守    応永十三年十二月日
 五号 脇指 薩陽臣奥平元武  文化元年子春

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卒制

本日は、烏丸三条にある京都伝統工芸館へ。
以前から行こうと思いつつ中々行けていなかったのですが、京都伝統工芸大学校の卒業・終了制作展が開催中と言う事で行ってみました。

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立派なビルです。
漆工芸、蒔絵、金属工芸、和紙工芸、木工芸、仏像彫刻、木彫刻、竹工芸、陶芸と、約200点の展示です。

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学校のHPを見ますと、「本校入学生の5割が社会人経験者。10代から60代までが学んでいます。」と書いてあります。
10代の若者の作品から多くの人生経験を持つ人の作品まで、様々並んで居るのですねぇ。
立ち止まりじっと拝見する作品、その前に立つのを見られるのが恥ずかしいと感じる作品・・と、レベルの差は激しいです。
生徒さんの姿勢も様々でしょうから仕方無いですね。
技術は経験、経験とは数をこなす事。
卒業後、学んだ技術を生かした仕事に就かれる方は是非頑張って頂きたいと思います。
さて、卒制展をみながら思ったのですが、素人目で見ても木彫刻や仏像彫刻、金属工芸や漆工芸などは技術面での優劣は判りやすいのですが、陶芸などはどうも判らない。
陶芸はほぼどれも上手にしか見えないのです。 素人には。(各分野に上手下手が有ったので、陶芸の作品にも多分有ると思うのですが・・・。)
刀もそれに似ているのではないか。
一般的に見て、良い出来か、良い研ぎか、などは判らないと思います。
この卒制展にもありましたし、絵画やその他の美術で「作品を見た人それぞれが色々と感じて下さい」的な物も多くありますよね、制作技術とは別次元で。
その場合、感じ方が白か黒か180度違う見方に成ってもOKと言う訳ですが、美術品とされる刀の場合、刀工さんは多分そうなって欲しいとは思わないのではないか・・。
刀は”技術”の面が非常に大きい美術品なのです。
なので刀の良し悪しは、勉強しないと判らない。
よく聞く話ですが、「刀を全く知らない人に名刀と凡刀を並べて良い方を言い当てさせれば殆どが名刀を選ぶ」と言うこの手のお話。
これウソですよね。
古い刀を買う時、「”刀”ではなく”人”を見なさい」というあのウソ話と同じ類です。
色々と考えを巡らせて居ましたが、うちのHPなどは誠に不親切なサイトですねぇ・・。
もう少し判りやすい物にしないといけないと反省です。