知らない事が多過ぎです(勉強不足で・・)

年末は色々と用事が重なりますので大変です。
押形作業も進める事が出来ず・・。
昔ブログに書いた事のある内容で知りたかった事を思いもよらぬ形で知る事と成った。
その時代を好きな方はよくご存知の事で有ったようですが、私にとっては感慨の深い内容となりました。
また書きます。



100均の

クリスマスですよー♪
100円ショップでロウソクを買って、夕食以降はロウソクの明かりだけで過ごしました。
子供達もはしゃいでいました。 よかったよかった。
蝋燭って気持ちが落ち着きますね。
子供の頃を思い出すのかなぁ・・・。
うちの田舎、私が小さい頃はまだよく停電が有りました。
台風や大雨の時は当然ですが、至って平穏な日にも半日停電なんて事もありましたか・・。
そんな時、私らちびっこ達は大喜びですよ。
蝋燭の明かりで沢山の時間を過ごしました。 
でも今思えば、大人も結構楽しんでたかも知れませんね。
研場に蝋燭を移動。
押形の続きを。

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落ち着いた気分で集中出来、脇指は完成。
次は大刀。
大は直刃。
直刃も特長とその雰囲気を描き出す事が難しいのですが、さすがに乱れよりは早く仕上げる事が出来るでしょう。
このペースだと年内には出来そうです。



久々に

先日来久々の全身押形中。
大小を描きます。

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肥前刀の事

肥前刀の現存数は大変多いため研磨をさせて頂く機会も頻繁で、研磨記録にUPさせて頂いている他にも今まで数多くの研磨をさせて頂きました。
研磨をさせて頂く中で以前気付いたのですが、肥前刀に特に合う砥石と言うのが有るのです。
しかし肥前刀にしか使用しない”肥前刀専用砥石”として居る訳ではなく、普段も使用して居る普通の砥石なのですが、肥前刀に使用すると明らかに有効に作用してくれます。
それで以前読んだ刀美の古い記事を思い出し、開いてみました。
「刀剣美術第19号
 研磨技術研究座談会 時 昭和二十七年十月十一日 場所 国立博物館地階研磨場
 出席者 宮形光盧 犬塚徳太郎 霞俊夫 小野光敬 吉川賢太郎 藤代松雄」
”研磨技術研究座談会”の名の通り先生方の座談会記録形式の記事です。
ここで肥前刀研磨に関するお話が出てきますので以下に抜粋致します。
 
(以下、刀剣美術第19号記事引用・前略)
(宮形) では大阪新刀はこれ位にして次は肥前刀なんですが、私は肥前刀を研がしたらまず平島老人に及ぶ人がないと思っています。それは平島サンの研いだ肥前刀を見ると一眼で、ハハァこれは肥前刀だなと地鉄だけで判るのですよ。他の研いだ肥前刀はどんなに良く研いであっても、時に見損じることがあるが、平島さんの研いだ肥前刀は見損じない。不思議に思って息子サンに聞いてみたら、矢張り秘伝があるそうだ。
(小野) 初期の研師会で平島君から聞きましたよ。地艶を使い、ぬぐいを入れるこれは我々のやる普通の工程ですネ。ところが平島サンのはぬぐいを入れてから又地艶をかけるんだ。つまり我々の仕事を二度やる訳だネ。特別の地艶を持っていたと云うが、この地艶の固さ、厚さなどが平島氏独特のものなんでしょう。
(霞)  肥前刀らしい地鉄とはどう云う点にあるか、又肥前刀らしさはどう云うようによって出されると云うことです。
(宮形) 地鉄の色は青く冴えてみえるという事に研師は重きをおくが、平島氏の研ぎは青みがない、むしろ赤味をおびている。そして肥前の糠目肌が出ている。だから赤味がかって糠目肌の見えるのが肥前刀らしいのです。
(吉川) 併し平島サンの研ぎは国広や真改を研いでも共通していた様に思うが。
(小野) それは共通しているサ。平島サンとしては、別に肥前刀を特別に意識してやった訳ではなかろうが、その方法が一番肥前刀に適していた訳だな。
(後略・引用終わり)
私が感じて居る肥前刀に特に合う砥石とこの座談会の内容は工程も違いますし直接関係があるわけでは無いのですが似ている面が有り、凄く素直に入ってきます。
私は肥前刀に合う砥石と言う物を完全に活かしきれている訳では有りませんし道半ばと言うところですが、もっと経験を積めばより良い研磨も出来るかも知れませんね。
そして「砥石・研磨・肥前刀」、この関係もですが、”肥前刀そのもの”に興味が湧きますね。
「砥石が肥前刀を選ぶ」、これほどに顕著な特徴を持つ刀!。凄くないですか。(逆ですか?肥前刀が砥石を・・・?!)
さて、そしてまた思い出した事がありまして。。
3年前。2009年10月20日の記事
本部からの入札鑑定、5号刀に肥前刀の短刀(平脇?)が出ました。
見るからに肥前ですが、初代か二代かが分からず、ブログにも書いた通り「根拠は薄いが食い違い刃が有るので、武蔵大掾忠廣に」と言う事で入札。
結果答えは二代の近江大掾忠廣でハズレの同然となりました。
初代を研磨させて頂いたり普段拝見したりする経験上、食違い刃が多いイメージを持っていてこう言う入札をしたわけですが、重刀図譜を見ていてこの事に関係する記述がありました。
第49回重刀の肥前國忠吉の解説に忠吉が直刃を焼いた場合ほつれや食違い、二重刃などが現れる事を同工の手くせとして挙げています。
しかし近江大掾や他の肥前諸工にも食違い刃は有るわけで、根拠として薄い事にかわりは無さそうですが、一応初代の手くせと見ても良いようです。
この様にわざわざ書いてしまいましたが、もしも誌上鑑定のヒントの常套句だったりしたらすみません・・・。(誌上鑑定ほとんどやってなくて)