新刀大互の目

焼き幅広い新刀大互ノ目に内曇を引く。
焼き刃がかなり硬いため過去の研磨でそうとうしゃくって研がれており地刃の凹凸が著しく、全て直すのに数日を要した。
ようやく内曇に入るも苦戦が予想されたが意外にも素直に進む事が出来る。
大変切れ味の良い(研磨力が強いの意)現代の人造砥ですら硬くて苦労する焼き刃でも内曇が素直に効いてくれる事が有るが、いかなる理由か?! 
実はこのパターンには時折出会う。
(硬さが原因で下地研磨に苦しめば天然砥を使用する内曇や仕上げでも苦労するのが通常なのだが)
石がおもしろいのか鉄がおもしろいのか。。



遅ればせながら

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東京の開花のニュースはもうずいぶん前に聞きましたが京都は遅かったですよ。
ここ数日がピークです。
信秀さんも京の桜(山桜)をモチーフにしたのでしょうか?!



大和

ここのところ研ぎ場で大和物と出会う機会が多く、千手院、手掻、当麻、尻懸、包永極め物などを拝見。
いずれも大磨上無銘刀。
やはり柾気の強い物が多い。
そう言う刀を大和物に極めるのでそうなる訳だが。
日本刀大鑑の大和物総説では「大和物は素朴で、華麗さに乏しく、しかもそれを守り続けようとする保守的なところがあり、それが禍いしてか、なかなか一般受けがせず、名物にもわずかに八点採り上げられているに過ぎないし、
現在でも国宝に手掻の包永・当麻の国行・竜門の延吉・千手院長吉の各太刀と無銘当麻・保昌貞吉の各短刀の計六点が選ばれているだけである。 しかしこうしたところが妥当な線であろう。」 と書かれている。
大和物ファンとしては非常に寂しいところである。 
昔から華やかな物がもてはやされたのか、精良な鉄を鍛える技術が称賛されたからか。
大和には備前の様な華やかさは無いがそれとは全く違った魅力があり、必ずしも一般受けしないとも思えないのだが現実は違うのだろうか。
刀を好む人には素朴さを求める人も多いと思うのだが。