最近の事。雑記

日々の所用の多さに少しへこたれぎみ。
しかし世の中には分刻みで動いている人が沢山居るので”忙しい”なんて言葉は簡単に使ったらダメですね。
なんとか研磨の下仕事も進めます。
刃艶作り。 
かなり大量。 半年は使えるか。 品質大変良好。 ナルメに使用出来る物も数枚有り。
刃引きがもう減ってきたので少し倉庫から探す。
原石から角取りするのですがかなり手間が掛かるのでもっと時間が有る時に行なう事にする。
色々探していたらずっと探していたコッパを発見。
これは確か中山の浅黄だったはず。 使いこなせるかどうかは分かりませんがとりあえず持って入る。
砥石を入れるボックスを4個購入。
未だみかん箱に入ったままの石も多く有り入れかえたいので。 しかしこのボックスに綺麗に詰め込むと4、50キロほどになってしまい持ち運びにかなりのやる気が必要となる・・。
3種の原石からそれぞれ刃引きをとるも全部だめ。 ちょい荒。
また使用条件と刀を変えれば使える可能性もある。 しかし結局刃艶にした方が良いと言う事でしょう。
去年買った刃引きを4本試す。 当時試した時はダメと判断。
今回は我慢すれば使用出来なくも無いと思った。 しかし実際には我慢しないので使わないのが現実。
また水に浸けてから試してみよう。
数年前磨っておいた刃艶を貼る。
ちょい硬めだが使える。 
山に拘らず探すとこう言う石に辿り着く事も有る。 
今研磨中の刀用の拭いを磨る。
研磨に入る前に何度も試した結果これを最後に使うと古研ぎの様な地肌の状態が得られた。 しかし別の刀には効果無し。 もっと単純で有ってくれ・・・。



ひごてる

本日は研ぎ場にて「肥後守藤原輝廣作」、薄錆身の槍を拝見。
肥後守輝廣は美濃の出身で京の埋忠明寿門と言われ(否定する説もあります)安芸へ移住します。
初代が肥後守輝廣、二代以降は播磨守を受領しています。
肥後輝はとにかく在銘の品が少ない幻の名工的な存在で、昭和63年発行の「肥後守輝廣とその一門(得野一男著)」で、刀では3口しか知られて居ないとあります。
重刀図譜では平成14年第48回重刀時点で、刀2、脇指2、薙刀7、短刀1、槍4の指定が有ります。(脇指の一振りが30.1センチ、短刀は33.3センチと表記されています。誤記かどうかは分かりません)
昭和33年の第一回重刀時点では解説の中で、全在銘作合わせても10指をこえないと言う事が書かれておりますが、昭和43年の第17回の解説では「20点に満たない」にまで増えて来ています。
その後、昭和51年24回の時点でも「20点以内である」とされています。
29回以降48回までで肥後輝の重刀指定は有りません(その後の資料は持っていませんので分かりません)。
本日拝見した槍は新発見の品ですので現存稀な肥後輝の一振りに加えられる貴重な物と言えます。
しかし名工と言われながら何故これほどまでに数が少ないのでしょうか・・・?(贋物は沢山ありますけど)
結局あれでしょうか。銘を消し大磨上無銘風に茎を仕立てられ、相州上工になっちゃったんですかねぇ。(でも良く似た人に相模守政常が居ますが、この人も刀は殆ど有りません。この手の人は短刀や槍、薙刀が上手でもともとそれらばかりを多く作っていた人なのかも知れませんが)
本日の肥後輝はいかにも新古境の美濃伝と言う匂い口の沈む物で、こちょこちょと働く刃を湾れでつなぎます。
肌は槍ですので柾基調ですが、若い槍に見る整った柾とは違う野趣を感じます。
総体に沈む雰囲気でそれがたまらなく良いと感じる品でした。
しかしまぁ総体に沈みしかも野趣満々な出来を”良い”と言い出してしまうと「刀の美とはなんぞや」と言う事になってしまう訳で、刀の価値観を何処に見出すかは単純ではないですね・・。
好みとは多様な物だと言う事でご容赦下さい。



無題

地震後もう何日経ちましたか・・。
うちは5歳と2歳前の子供がおりますが新聞の犠牲者名簿に同じ様な子供達を見てしまうと、目を閉じてその後に浮かんで来る多くの想像を打ち消す作業をします。
TVで繰り返し流された映像には本当に心にダメージを与え、深く消え難い印象を刻み込む部分はカットされています。
災害と言う物に合った事が無く、そう言うTV映像しか見た事が無い私が感じる事など経験者からすれば底の浅い悲しみでしか無いはずです。
そんな、多くの私みたいな人達はちゃんと日常を送る事が大事なのでしょうね。
日々異様な忙しさでてんてこ舞いですし悲しい記事を読むとブログを書く気持ちが起こらなかったのですが、ちゃんと日常を送ろうと思います。
久々に研磨記録を更新致しました。
研磨記録、新刀、武蔵国に初代康継を追加致しました。

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青江太刀

本日は研ぎ場にて在銘年紀入り青江の太刀を拝見。
腰反りですが深いものでは有りません。
少し細身ですが鎬重ねが有りますのでそこそこ重量はあります。
二尺四寸ほど。
直刃調子で刃中良く働いています。
匂い出来で焼頭に沸え付く部分あり。
それなりに疲れては居るのですが、研ぎでよく抑え込まれていますので柾状の白い肌は全く気になりません(古研)。   
湿潤な雰囲気で美しく仕上がっています。
ですが各部の研ぎは正直結構いい加減な感じです・・・。 
こういうパターンは多いものなのです。
ものすごく良い地鉄に仕上げて有るのに色々見るとかなり変な事をしている。
古刀の地鉄って案外「ざっ」っと仕上げてしまった方が良くなる場合が多いのか、それとも地のこなしが上手い人にも細部にこだわらない人が居るのか、諸事情有ってこう言う研ぎにしたのか、或いは成ってしまったのか・・・。
色々思います。
古刀の場合特にそうだと思いますが、「いかに抑えるか」と言う重要な場面がよくあります。
誠に見事にそう言う研ぎをされた古刀に出会うと本当に心が落ち着きます。
そう、まさに心が落ち着く感じです。 
 「抑えて居るが晴れて明るい」
こう言う事は鑑賞する側が求めたからこそ育った研磨技術だと思うのですが、そう言う目を持つ好奇者さんは考えてみれば本当に凄い目を持っています。
「日本刀は世界に誇る・・・」的な事がよく言われます。
とても世界には通用しないと思われる日本刀も多数あると思いますしまた私は世界の事をよく知りませんのでこう言う言葉を使った事は無いと思います。 
しかし単に”刀”そのものだけでは無く刀に関するさまざまな事柄を思えば、世界を知らない私にも「もしかしたら世界に通用するかもしれない」と思えて来てしまいます。
鉄、火、水、石、光、目・・・ちゃんと手間を掛けた物は本当に細かい細かい積み重ねで完成されています
・・・今日は丸一日平身の棟の下地で腰が痛くてだめです。
話はまとまらず尻切れトンボですがおしまいにします。
埋鉄用残欠に肌が荒れた物が有れば「粗し」「抑え」の比較をしてみたいと思います。
よく聞く話とは思いますが実際比較を見る事は少ないと思いますので。