陸奥守吉行
この名前を聞くと、御刀好きの方よりも幕末ファンの方の方がピンと来るかも知れません。
そうです、坂本龍馬の佩刀として知られるあの「吉行」です。
それその物では有りませんが、今日は陸奥守吉行の御刀を拝見致しました。
龍馬が暗殺されたその時、龍馬が握っていた吉行(二字銘)は、大正時代に焼けてしまい、現在は京都国立博物館の蔵品となって居るそうです。
入手の経緯としては、京都の龍馬が土佐の実家の兄に手紙で頼み、西郷を介して龍馬の手に渡ったそうです。
吉行は土佐の郷土刀です。
その後、龍馬は吉行を喜び京都で幾人かの鑑定家に見せ、「一竿子忠綱位に見える」との評価を得、大変喜んで居たそうです。
陸奥守吉行は大和守吉道門ですので、中河内や一竿子の様な丁子を焼いて居たのでしょうね。
(この辺の内容は「坂本龍馬と刀剣」 小美濃清明 ・ 新人物往来社 から。)
暗殺時は斬り込みを鞘ごと受け、棟に酷い斬り込みが残っているそうです(私は現物を見た事が有りません)。
本日拝見した吉行は、「陸奥守吉行」と受領銘入りです(保存合格済み)。
大変良い状態の茎で、錆色も大変良く、丹精な銘です。
私は吉行を拝見するのは初めてだったのですが、こんな作風も有るのかとちょっと以外でした。
「坂本龍馬と刀剣」に、吉行二字銘の刀の茎の押形と物打ちより上付近の刀絵図が載せられており、詳しい説明が無いので龍馬愛刀の吉行と理解して居たのですが、その刃文は匂い口締まり気味の中河内や大和守吉道の様な丁子刃です。
それと並べて粟田口忠綱の押形を参考に載せ、「一竿子忠綱くらいに見える」との当時の鑑定の意味を解説して居ます。
先ほどネットで、龍馬愛刀吉行は焼け身と言う事を知り、よく分からなくなってしまいました・・・。(再刃?!)
で、この本の刃文のイメージをずっと持っていましたので、本日拝見した吉行とのギャップが大きかったのです。
互の目で少し尖り交じりで部分的に濤乱風にもなっています。
かなり沸付き、私的には呰部水田を思い起し、そしてなかなか良い御刀で驚きました。
さて研ぎの方は石堂の内曇です。
石堂は鎬柾と言いますが、板目で地からの映りが鎬地で最高潮に達しています。
磨くのがもったいない・・・・。
この鎬地は平地に負けない良い肌です。