粟田口へ

夫婦で食中りで大変な目に合っていたのですが体調も回復し、仕事で刀を拝見しに粟田口辺へ。

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この辺りで鎌倉時代初期~中期にかけて、粟田口派の国友、久国、国安、国清、有国、国綱の六兄弟、そして則国や国吉それに藤四郎吉光など多くの名工が作刀していたのですねぇ。 
粟田神社では毎年、納涼ビアガーデンが開かれていて(一日限り)いつも参加させて頂いていましたので、なんだか身近な存在であまり意識した事は無かったのですが考えてみれば本当に凄い場所なんですね。
帰宅途中30分だけ時間をつくり、京都文化博物館へ。

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”龍馬伝”と題した特別展をやっております。

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とにかく時間が少ししか有りませんので駆け足で観覧。
刀関係では、龍馬の所持刀「吉行」、坂本家から注文した刀「左行秀」、龍馬の暗殺犯とも言われる今井信郎所用の脇差「山城守一法」、望月亀弥太所用の鍔、龍馬所用の鍔など。
龍馬を始めとする幕末の志士に関する展示ですので刀関係の品は全くメインでは無いのですが、やはり注目度は高く、展示スペースは人だかりが出来ておりました。
全体の展示品は大変多く200点近くにのぼるようで、その多くは後世の捏造やこじ付けなどでは無い本物なのだと思います。
特に書簡やその他の書き物などは多分本物でしょうから、書いている内容は分からずとも引き付けられる物がありますね。
因みに、吉行は大正時代に釧路で火災に合い焼け身となって居ると言う事でした。
刃文は直刃と言う解説でしたが、再刃はされておらず、焼刃は全く無しの状態です(研ぎ上がっています)。
焼損時に反りが伏さったと見え、かなり反り浅になり、茎の反りとのバランスが崩れて異様な姿です。
茎の色も焼け色で火肌も出ています。
しかしこの状態も歴史を物語る物ですし、こう言う刀は再刃などはしない方が良いのでしょうね。

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