特に龍馬ファンと言う訳ではないですが

私、特に龍馬ファンと言う訳ではないのですが、ドラマ「新撰組!」の時と同じ様に、大河ドラマでやってますので”にわか”龍馬ファンになっております。
昔読んだ「龍馬が行く」でも、船に熱中する辺りからあまりなじめない雰囲気になってしまったのですが、今読めばまた違うんでしょうか・・。
今回の龍馬伝、初回はカメラワークやレンズの違いから来ると思われる特異な映像が今までの大河と全く違い、ちょっと違和感を覚えたのですが、これに慣れてしまうと今までのが安っぽ過ぎて見れなくなっちゃいましたね。
(後日、新聞でもレンズが違うと載っていました。)
なかなか時間が無くてこの前の日曜に撮っていた「さらば土佐よ」を今晩やっと見る事が出来ました。
ついに脱藩。
家族皆が覚悟の上で行かすと言う設定になっておりました。 
これが一番治まる筋ですね。
「肥前忠廣」の刀も出て来ました!
初代忠吉の後期銘「武蔵大掾忠廣」か、忠吉二代目の「近江大掾忠廣」か、はたまた代下りの忠廣か・・・。
「兄が大切にしていた」と言う事ですから、今の感覚で見れば初代武蔵大掾か二代の近江大掾かと言う所ですが、以外に当時と現代の感覚のずれは大きいですし、代下がりなんて事も有り得ます。
が、まず初二代でしょうね。
土佐を出る日もちゃんと雨でしたね。
脱藩時、龍馬は刀を油紙に包み背負って居たそうです。  雨だったんでしょう。(刀は特に拵え、また特に柄は雨に濡れるとユルユルになってしまいます)
TVの画面を見てますと土佐時代、初期龍馬の差料もちょっと気になります。
最初の頃は意識していませんでしたので分かりませんが、最近の龍馬の腰の物は結構長寸です(最初から同じでしょうか?!見て居ませんでした)。
少し茶味の塗りです。
縁はよく見えませんが頭は菊花弁でしょうか、それとも筋兜ですか。 
銀か朧銀に見えます。 たぶん縁も同じ手でしょう。
コジリも付いています。
柄巻きの菱は小さく、22個有りました。 
鐔は小鐔に見えます。 刀匠風でしたっけか(すみません、いい加減に見てました)。
あの拵え全長からすると鐔はかなり小さく7センチ台でしょうか。
視聴者には時代考証など、大変詳しい方が沢山おられますので風俗に関しては結構シビアにやってるのでしょうね。
本日放送(4月4日)の「お尋ね者龍馬」はどんなんでしょうか。
予告では刀が映っていませんで(脇差を抜いていましたが)分かりませんが、ちゃんと拵えが変わってくれている事を願います。
忠廣を差して居るんでしょうか・・・。
実際諸説有るそうで本当の所は分からないようですが。
そうそう、何話か前の、龍馬が初めて江戸に剣術修行に行く時(嘉永六年・十九歳)に、父坂本八平直足が龍馬に書き与えた「修行中心得大意」ですが、その中に「諸道具ニ心移り銀銭不費事」 との一文が有るそうです(訓戒書現存)。
これを見ると刀好きの人はすぐ分かると思うのですが、「諸道具」とはやはり刀の小道具類(刀装具)の事の様です。
龍馬は19歳にしてすでに小道具にうつつを抜かすほどの刀好きだったのですね!
さてさてこれからどう言う展開になるのでしょうか。 楽しく拝見します。

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