平安城安廣
全身押形とりあえず完成。
紀州刀工について研究されている方より、安廣(あんひろ・やすひろ)を数振り見せて頂けると言う事で御刀の到着を待つ。
荷をほどき、早速拝見。
拵え入り脇差。武骨な拵え。
鞘を払い、ん?と思う。 幅広で重ね厚。フクラ張り、一種独特な雰囲気を持つ樋。
左手で柄を持ち、トンと抜き、茎差し裏が見えた。 目釘穴の大きい見慣れた茎仕立てに声を上げてしまう。
「南紀やんっ」
安廣の頭で居たが間違えて南紀が届いたと。 しかし表へ返し驚く。
「平安城安廣」。
お送り頂いた方から安廣やその周辺について様々なお話を御教授頂いた。
紀州刀工については未だ解明されない部分も多いそうで、安廣も謎の多い刀工の一人。
銘鑑では平安城安廣を古刀期(天正頃)に一人、新刀期に一人上げ、新刀安廣を慶長頃とし、注釈で「天正同人か」としている。
しかし、近年の和歌山支部さんの研究などにより平安城安廣は、紀州石堂の安廣が安定(後の江戸新刀、大和守安定)と共に江戸に移り、その晩年京に移り住んだ時期の作であるとの見方が有力だそうだ。
また、大変興味を引かれる新説もお教え頂いたが、この押形の安廣などは正にそれを示す作かも知れない。