京都支部例会 刀剣入札鑑定会

例会

一号 刀

 肥前です。正広か行広。この二人の違いは分からない。

 出羽守行広と入札。

 

二号 刀

 反り浅。中切っ先。棒樋。少し鎬高め。直刃。少しほつれなど。
 肌は少々粗め。映り気。帽子の先が眠くなり形判別不明(おそらく少し大きい)。

 この手の出来は私の眼力では選択肢が多過ぎて非常に難しい。
 おそらく大磨上無銘だが、もしかしたら茎尻に銘があるかも知れない。

 兼常と入札。

 

三号 脇差(鎬造り)

 少し反り、尋常な造りこみ。拳丁子だが中河内とは違うタイプの華やかさが有る。

 この人では無いと思うが他の選択を見つけられず。

 肥後守国康と入札。

 

四号 脇差(鎬造り)

 反りが大変浅い。物打付近の刃線が特に直線的。直刃調の互の目。

 法城寺正弘と入札。

 

五号 脇差(鎬造り)

 直にかなり長く焼き出し、美濃風の互の目。三品帽子。
 
 伊賀守金道と入札。

 


イヤ
国入り

 多分二号は全部外す予感がする。
 とりあえず選択肢をつぶして行く。

 二号 貝三原正興と入札。
 三号は消去法で残った丹後守兼道に入札。


イヤ


 二号 宇多国宗と入札。


イヤ


 二号は三札とも外しましたが、当たるまで入れてよいと言う事で、続ける。
 筑紫了戒(通り)→平長盛(通り)→末延寿(通り)→清左(当)

一号 刀 銘 肥前國佐賀住正広 寛永十五年八月吉日
二号 刀 折り返し銘 波平行安
三号 脇差 銘 大和守吉道
四号 脇差 銘 但馬守法城寺橘貞國
五号 脇差 銘 大法師法橋来金道 万治元年十二月吉日

 鑑賞刀として、京都府支部在籍の北川正忠刀匠、平成二十七年新作名刀展、優秀賞第一席入賞作品を拝見しました。

太刀 銘 北川正忠作之
刃長 二尺四寸一分 反り 約九分

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隣にもう一列つくる

先日の刀片にもう一列鉄色見本を作るため、鉄を刻む。
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小さい物なので大した作業量ではないですが、一日内曇を引いた体には結構こたえる。



鉄色を

鉄色とはかなり複雑で一筋縄では行かないものです。
鑑定上、”北国物は地鉄が黒く”などと簡単に言ってしまうものですが、安易に使い過ぎるのはまずいと感じる事も多くあります。

以前TVで見てそれをブログに書いた事がありました。http://kyoto-katana.at.webry.info/200908/article_3.html
眼の錯覚って凄いですね。 刀の研ぎはこの上記ブログの様な事の連続です。

正直な所、私はあまり几帳面なタイプではありませんので仕事でもデータに基づくよりも経験と勘に頼るタイプです。(聞こえは良いが少々アバウトですか・・)
ただ、鉄色に関してはそれだけでは補いきれない面もありますので、少し鉄色を確認しました。

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細かい事は気にせず短冊状にザッと彫り各種の鉄を入れる。

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とりあえず12種の鉄を。
中名倉。この段階ではどんな色の鉄も判断出来ない。
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地艶。
今回の中では2と十一が一番白い。
ただ、拭いが入るとまた色は変わる。拭いによく反応する鉄は黒くなる。
また、白熱灯にかざすと全く別の表情を見せる鉄も多い。垂直に蛍光灯で見ると全く確認出来なくとも、白熱灯で透かせば明瞭に見えてしまう鉄もある。
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鉄の錵付きや映り、疲れに硬さに肌目・・・。要素は多数です。



法隆寺へ

ブログが久々になってしまいました。
毎日朝から深夜まで必死の研磨です。一週間がとにかく早く過ぎて行きます。
いつだか長い連休でしたがほぼずっと仕事でした。体に悪いですね。

先日は少しお休みさせて頂き、電車で奈良へ。法隆寺です。
行った事なかったんです。
是非見たかった西円堂。
金堂や五重塔より西、あまり人が来ない雰囲気の小高い丘の上にありました。
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昭和60年、東京国立博物館で特別展観「打刀拵 ~刀剣外装の美~」が開催されその後、時代拵好きの方なら必ず持っている図録「打刀拵」が刊行されています。
この図録打刀拵に載っている法隆寺西円堂内の古い写真をはじめて見た時のワクワク感は、何度この写真を見ても変わる事は無いですね。
堂内に安置される薬師如来坐像の頭上壁面などに掛け連ねられた刀や鞘、その数6000口以上。
これらは室町期から明治までに奉納された品で、全てが錆身。
拵えも傷んでいる品が多いのですが、それらは修理を行っていません。そのため奉納当時の状態が分かる品が多く大変貴重な資料となっています。(現在これらの品は収蔵庫に保管)

先日ブログで紹介した「日本古文化研究所報告. 第8 法隆寺西圓堂奉納武器」のP94に西円堂修理前の堂内写真があります。(西円堂は昭和十年に修理が行われていますが、その時奉納武器の調査も同時に行われ、その記録がこの書です。)
残念ながら、現在は堂内に入れませんし堂内撮影禁止の看板がありましたので内部の写真はありません。
必死で金網に鼻を突っ込んで、冷たく重くかびた空気を吸って帰りました。

以前ブログで紹介した拵えです。
鞘のみ残されていたのですが、古い様式で全体を復元しています。
この鞘は西円堂から流出したと言われる品だそうです。
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「日本古文化研究所報告. 第8 法隆寺西圓堂奉納武器」のP107、109、110辺りの品に近似します。