北山へ

支部で御世話になっている白銀師の上野宏樹さんが北山に工房を開かれ、所用で伺う事に。
私は以前上賀茂で研ぎをしていたのでこの辺りは懐かしい・・・。っと言うのはウソか。今居る岩倉とはご近所さんで、今も頻繁に通る所。
ただ今日はちょっと久々に、独身時代毎日の様に通ったお店でお昼を食べた。
京都独特の、間口が非常に狭く全く目立たないお店。
こんな所でやっていけるの?っと思いつつ引き戸を開けると思いの外広い空間があり、馴染みの客で満席だったりする。
今日は先客おっさん二人。後からお爺ちゃんとお婆ちゃんが4人入って来た。
変わらず好きな鳥カラ。多分ここ以上に合う所には出会えない気がする。

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上野さんの工房。ブログUPのお許しを頂いた。
道具一つ一つに興味がわいてしまうが長居はご迷惑をお掛けするので早々においとました。



人格をかける

用事で、いつも大変御世話になっている方の御宅へ伺った。
色々お話をさせて頂く中で、私用の拵えを製作したく小道具を探して居る事を話した。
鐔はお気に入りの品が二つあり、縁金具もきめてある。
無櫃も良いがどうしても寂しく感じるので小柄笄を付けたい。そうなると、鐔との相性もあるし目貫の問題もある。
また最大の問題は金額面で、もちろん古後藤の品が一番の望みではあるが、とても手が出ないので古拙で手ごろな品を探したい事などを話す。

その後、にっこりさらっと仰ったので正確には覚えて居ないのだが、「人格をかけてお気に入りの刀に拵えを作る、これは一番楽しいものですね」とのお言葉。
”刀”がこれほど奥深いものとなったのは、こう言う精神を以って伝えられて来たからだと思う。

敷居が高いと人が減る。しかし低次元だと魅力は無い。
社会の基本構造の変化が急速に進む中で、旧質の物全てをそのままの形で残して行く事は不可能だと思う。
何を残すか、何が残るか。



京都刀剣入札鑑定

支部会会場が少し前から変更になり、7月例会で祇園祭の雰囲気を味わう事が出来なくなり少し寂しい。
先日用事で通りかかった鴨川の川床(ゆか)の画像でも載せておきます。
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うわぁ、風情ゼロの酷い写真ですね。すみません。

 

一号 刀

姿等から磨上茎にして無銘だと思う。素晴らしい出来。
棒樋で樋中の肌荒目。鎬高。手持ち軽い。刃寄りの柾気が大変目立つ。下半にある程度足が目立ち、物打付近は匂い口の深い刃で匂いと小錵の密度のが濃い。地には散らず。下地が良く、横手、刃三つ角ともにしっかりと立つ。刀身中央付近の刃中には、刃寄りの柾に絡みほつれ等の柾系の働きが多く、金筋も豊富。良質の地錵と地景が細かく付く。帽子は道中より深めになり少し寄り、返り錵崩れ気味。棟焼きなし。

武蔵大掾か来国光か迷う。どちらの極めが付いているのだろうか。後にする。

 

二号 刀

細身、踏ん張りはあまり感じない。反りが有り優美。鎬高。匂い口しまり、沈み気味の直刃。帽子少し大きく、返り浅い。腰に少し固い箱風で低い互の目。棒映り風と地斑風の映り。地艶が柔らかく厚めなので少し白い肌合いに成る。

以前研ぎ場で拝見した事が有る刀ではなかろうか。 雲次と入札。

 

三号 刀

身幅広く鎬高め。重ね厚く非常に重い。松葉が張らないので小鎬先が若干上がり、中鋒延びる。 鎬柾。
全体に焼きが高い。互の目と丁子。匂い口深く明るく錵激しく、それぞれの刃文は破綻している箇所も多いが元から先までの焼き刃の配置(高低や丁子の数、湾れのはさみ具合等)など、トータルバランスを考えれば意図的と見たい。帽子は微妙に三品。帽子表の返りの止まりは固く、裏来国次風。

匂い口の雰囲気が親國と共通する所があるが、出羽だと思う。出羽大掾国路と入札。

 

四号 刀

詰む。互の目丁子で足が抜ける。映る。

固山宗次と入札。

 

五号 短刀

重ね厚。反り浅。棒樋。棒樋の先の留め位置と樋先形状とフクラの関係含め、フクラより区まで総体に踏ん張る。応永備前の姿。応永杢顕著。棒映り鮮明。

以前研磨させて頂いた品が出て来ました。 康光と入札。

一号 刀

改めて手に取り、やはり品格を感じる。 来国光と入札。

 

一号 刀  来国光

二号 刀  雲次

三号 刀  出羽大掾国路

四号 刀  固山宗次(元治年紀親子合作銘)

五号 脇差 康光

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出羽大掾はかなり激しい出来でした。普段見る所謂「志津風の出来」と言う物とは違い明らかに一段と激しい。
出羽の技量の評価は大変高いですが、それは刃の明るさ、地鉄のよさだけではありません。
研磨作業の刃取りや押形作業を日々苦しいほどやっていると見えて来るのですが、こんな刃文構成は、並みの刀工には不可能なのです。
造り込みに対する刃の高低の配置、互の目、丁子、湾れの大変微妙な形や幅と連なる数、それの匂い口の深浅の位置、崩れの程度など、刃文を構成する要素は挙げれば限が無い訳ですが、いずれも絶妙。 仮に若干の野暮ったさが有った場合も地鉄の良さと刃の冴えが見る者の目からそれを排除する力を持つ。
慶長、元和、寛永頃の刀工にはそう言う巨人が多い。

 



会報を

調べ物等のため、京都府支部会報を創刊号から全号お借りしました。
昭和31年創刊以来、現在97号。
この様に長期間会報を出し続ける事は本当に大変で、多くの方々のご苦労がそこにはあったと思います。
過去26年もの長きにわたり京都府支部会報の編集をつとめられていた加藤静允先生の某号編集後記にこの様な一文がありました。
「趣味の世界の会誌はどんなに古くなっても同じ趣味をもつ人々にくり返し読みつがれ楽しまれて行くものです」
私も調べ物のため開いたつもりが楽しくて目移りばかり、加藤先生の仰る通り。
各支部で会報を出されている所がどれだけあるかは存じませんが、現在会報発刊に奮闘中の皆様に心から敬意を表しそして伝えたいです。
「信じて頑張ってください!」と。



人と刀と

京都府支部会報「津どい」は昭和31年に創刊号を発行して以来、現在97号まできています。(支部発足は昭和24年)
平成8年の第83号。元支部長、故生谷敬之助先生の寄稿「人と刀と」。
 

 O女史が初めて拙宅に見えたのは二年前のことである。自宅の火災で家財を整理。そのうち実家から預かった刀を発見したので鑑て頂きたいとのことであった。住所は同じ区内のごく近いところであり、ご夫君は大学の先生、ご本人は家裁の調停委員であるとのよし。では一見ということとなった。
とり出されたのは脇差で無銘物、「新刀高田」と観られるものである。錆身のうえ粗末な拵え。柄糸は失われている。所見を腹蔵なく申し上げると、この刀は実家の先祖伝来のものであるから実弟に譲りたい。なんとか美しくならないかとの希望であった。
その様なことで、むげに断りきれず預かることになった。鞘師上野敏夫君に事情を話したところ快い承諾を受け、やがて関係諸士の手によって見事に修復されたことは言うまでもない。そして、一刀を手にした女史は暫く感無量の面持ちであったことは忘れることができない。
数ヶ月が経って再び女史の訪問があった。里にそのまま返すのでは将来粗末にされる心配があるので「家伝の由来」「日本刀の説明」「刀の取扱法」などの書付を残したいとの希いである。書店で刀剣の本を求め、自分として精一杯力をつくして原稿を作ったが、なにとぞ加筆を願いたいとの申しいでである。和紙十数枚に毛筆で書き連ねられた文章はなかなか意をつくした内容であり当方の意見をさしはさむ余地はなく、今更ながらその気概に一驚したのである。そしていまの時代には珍しい日本人的なこの心。昔の女性の亀鑑とはこの様な方を言うのかなと心底深く感嘆した次第であった。

 内田疎天翁の「剣霊を仰ぐ歌」の内

   日の本の人の心のおのずから
      伝えまほしき日の本の太刀

 

生谷先生のお話には度々こうした女性が登場するが、研師もこの様ないきさつに関わる事は多い。
こういう事は書くべきではないかも知れないが、正直なところ、「オークションで売るから光らせて」と言う注文よりも、上記の様な仕事の方が俄然研磨に力が入るものです。
あぁ、まずい事を書いてしまってますか・・・。しかしまぁ気持ち的にはそうなる訳です。

今月8日にはNHKで刀に関する番組が放映されますね。
人と刀と、関わり方は様々ですが根幹はやはり大切です。



好きな鐔をみる

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先日来、頂いたアクリル鐔立てに鐔を置く。
通常は見せるために使用すると思うが卓上カレンダー風に自分に向け、常にみる。
好きな角度がある。
立ち上がった瞬間の少し緑青がかった色が好き。
拵えに掛けた時は正面から見る事は無くなるので常にこの角度から見る事になる。



研ぎを見た

今日は研ぎを複数拝見。
仕事は人を表す。
色々考えさせられた。