押形制作

今日は全身押形制作の取材をして頂きました。
どの程度使って頂けるかは不明ですが、押形制作関連の取材の機会は少ないですし、大変ありがたい事です。



古押形

錆び切りをしていた短刀が私見で相州上工なので古押形にないかと検索中、埋忠刀譜に先日の額銘二字国俊(重要文化財)をみつけました。

この額銘国俊は刀美の名刀鑑賞に過去3度掲載された名品で、徳川将軍家、会津松平家、一橋徳川家などを経て、近年では中曽根康弘元首相の所有であった刀です。
現在の茎は、目釘穴三(内二つ鉄埋め)の状態ですが、埋忠刀譜では現在あいている一番上と真ん中の埋め穴が無く、一番下の埋め穴部が一つだけあいた状態。
念のため埋忠銘鑑を確認するとやはりこの刀の掲載はありますが埋忠刀譜とは状態が少し違い、現在あいている一番上の穴は無く、鉄埋めの二つがあいた状態の押形です。
埋忠刀譜は埋忠家の注文台帳的な意味合いが強く、単なる押形集とは違った性質を持ちます。故に埋忠刀譜に所載という事は、埋忠家がこの国俊に仕事として何らかの形で関わったものと考えられるのです。
ただその仕事内容は、拵金具製作、拵製作、磨上げ、金象嵌、額銘入れ、銘の折り返し、刀身彫刻、刀剣の購入や売却に仲介等々と多岐にわたり、埋忠家がどの様に関わったかは分かりません。

この刀、磨上げや額銘の仕事は丁寧であり、普通に考えれば埋忠家がこの刀に行った仕事は磨上げと額銘です。
ただ、台帳(埋忠刀譜)の記録は仕事の前と後ではなく、どちらか一方のみ。
仕事の後に記録したとすれば、磨上げと額銘などが考えられますが、仕事前の記録とすれば、既に額銘がある状態から現在の茎へとさらに磨上げたということに。
埋忠刀譜の本文翻刻をみると幾つかの押形に、仕事の後に記録したと分かる内容もあり、「兼光の目釘穴を銀で埋めた」「藤四郎吉光の目釘穴を印子(金)で埋めた」「藤四郎吉光の目釘穴を鉛で埋めた」例が記されています。(藤四郎を鉛で埋める事に驚きですが)
また蜂屋江や桑名江は明寿が磨上げ、金象嵌も明寿が行った事などが記されていました。
しかし仕事内容の記載が無い押形が圧倒的に多く、埋忠家がその刀にどの様に関わったかを断定する事は難しそうです。

この二字国俊の他、手元にある全身押形には古押形(含明治)に記録されたものが幾つかあり、ここに掲載させて頂きます。

稲葉江(国宝) 埋忠刀譜
備州長船兼光(重要美術品) 土屋押形(中央刀剣会本)
長光 土屋押形(中央刀剣会本・刀剣銘字大鑑)
桃川住長吉(重要美術品) 土屋押形(刀剣銘字大鑑)
備州長船義光 興国六年酉乙三月日
土屋押形(刀剣銘字大鑑) 
助包(古一文字)(重要文化財) 光山押形
近信(古備前) 光山押形
恒遠(古備前) 光山押形
景安(古備前) 光山押形
景秀(長船) 光山押形
国永(五条)(重要美術品) 光山押形
国吉(粟田口)光山押形
定利(綾小路)光山押形
備後国住一乗作
 応永十八年八月日
(福山市重要文化財)光山押形
国綱(粟田口) 今村押形
(菊紋)一(重要美術品) 今村押形

その他で把握しているものは光徳刀絵図の義元左文字(重要文化財)と骨喰藤四郎(重要文化財)などでしょうか。
探せば他にも見つかるのかも知れません。



刀職

白銀師の中田育男先生の工房にて中田晃司白銀師。
中田晃司師は普段は神戸の工房でお仕事をされていますが、この日は都合で加東市の育男先生の工房に。

今日は倉敷市児島の石崎三郎鞘師の工房に完成した太刀を受け取りに伺いました。

刀職の仕事場は何とも言えず心地よく不思議な感覚になります。
研師の仕事場にお邪魔してもこの感覚を覚える事はありませんので、同じ刀職でもまた別職だからなのでしょうか。

今、刀職者が不足していると感じているのは私だけではないはずです。
中田育男白銀師、中田晃司白銀師、石崎三郎鞘師の様な名人といわれる職人が増える事を切に願っています。



日刀保京都府支部入札鑑定・新年会

1月は新年会なのでいつもの三木半旅館で。
三木半は笑福亭鶴瓶さんや、あのねのねさんがバイトをしていた旅館です。

1号 刀
肥前。長い。二尺五寸超か。反り浅めで身幅広い。重ねは身幅に比して若干薄め。詰み過ぎない地肌。大互の目を直ぐ調につなぐ。錵が凝る箇所が点在。
茎が細らない嫡流にはこの様な大きな物があると思うが、正広・行広の方がこの造り込みは多いと思う。が、正広・行広の判別法は分からず。
河内守正広と入札。

2号 刀
反り浅。焼き幅広く、刃中の錵方が著しい。互の目と丁子で刃中複雑。帽子は綺麗。返り少し広く少し長い。
沸え深さが親国。しかしいつもと違う気がして迷う。思い切って変わった札を入れたくなってしまった。
御勝山永貞と入札。

3号 刀
少々反る。よく詰む肌だが詰み過ぎず良い鍛え。焼き出し長く、それほど高くない完全匂いの丁子。少し風変りな刃調。
ちょっと迷い、何度も見ていたら風変りには見えなくなった。
この反り方や焼き出しと、特に良い鍛えなのでこの人か。
横山祐永と入札。

4号 平脇差
江戸か大阪の新々刀丁子。入札が苦手な刀です。。
寸延。身幅広く重ね厚い。非常によく詰む地鉄。淡く映り。頭が完全に揃う丁子。ニコイチ、ニコニコなど。足は長くない。
ちょっといい加減にこの辺を整理して覚えよう。
同然表を見て適当に。加藤綱英と入札。

5号 平脇差(短刀か)
寸長め。それなりに反る。詰み気味の板目肌で流れる。棟寄り映る。表裏揃い気味の互の目。藤島風のピョコ刃を素直な匂い口で。千子の刃調。
大振りなので。
千子正重と入札。


イヤ


イヤ

2号 でしょうねw 親国と入札。
5号 当たりと思ったので驚いた。平安城らしくはないけれど、これしか無い。平安城長吉と入札。





イヤ

5号 美濃しかないですね。個銘は分からず。蜂屋兼貞ってこんな刃文はないのでしょうか。兼貞と入札。





1号  刀 一 肥前国出羽守行廣 以阿蘭陀鍛作
2号  刀 和泉守国貞(道和銘)
3号  刀 横山加賀介藤原祐永 天保十四年八月日 
     (菊紋)一 備陽長船郷
4号 脇差 備前介宗次
      弘化四年十月日
5号 脇差 関之住兼舟

2号は親国貞の草書銘で所謂「道和銘」。そのせいで少し作風が違っているという事かも。
4号は辻本先生曰く、この帽子は固山しか無いとの事。
次回からは、とりあえず丁子の新々で映りが有れば固山に入れよう(そんなんじゃダメですか。。)。そういえば宗次って研磨の経験が無いかもしれない。宗寛はあったと思う。
5号は1札目で美濃に行かれている方が何人か。
何故美濃に?と聞きましたら「千子だともう少し地鉄が強い」と。ん~確かに。でもかなりハイレベルな鑑識。
あの刃に引っ張られると必ず千子に行ってしまう。地鉄の差に気付くにはかなり冷静な判断が要ります。
・判者さんから、正重と長吉は同然なのでと、5号に+5点いただきました。