全身押形 美濃刀、直江志津・御勝山永貞

刀 無銘 直江志津
大和手掻包氏が美濃国志津に移住し兼氏と改名、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍し一門が繁栄しています。
その二代目以降及び一門の総称が直江志津です。(刀の世界では「志津」「直江」と刀工名の様に使用していますが、志津、直江は元来地名です。)
直江志津に関連する呼称がいくつかありますので以下に整理します。
・志津  =手掻包氏美濃移住後の名称(志津三郎兼氏)。大志津。
・大和志津=兼氏の大和在住時代の名称(大和在住時代の作は全て無銘)。
      包氏に近い刀工で美濃移住に追従せず大和に残留し、
      その名跡を継いだ鍛冶の名称(広義大和志津。この後代包氏在銘作は現存します)。
・直江志津=兼氏の門葉は直江に移り住み栄えますが、二代以降の兼氏及びそれらの総称。直江。

刀 銘 美濃御勝山麓住藤原永貞 
    於江戸青山作之 文久元年十一月

毎年の重刀審査発表を見ても分かりますが、新々刀の重刀合格の壁はかなり高いものです。
そもそも、新々刀の中で重刀に合格できる可能性がある刀工は限られているという事は、過去の指定品から理解できます。
代表的なところをあげると、清麿、栗原信秀、固山宗次、大慶直胤、左行秀、薩摩新々刀各工などでしょうか。
その次に各国の新々刀有名諸工が続きますが、その一人が御勝山永貞です。
永貞は作刀の技量で見れば代表工として上げた工人達に劣るとは思いません。非常に上手い刀工です。



全身押形 朱銘兼基

朱銘、兼基 八十一翁松庵(花押)

しばらく前の刀剣美術「名刀鑑賞」に来国光の松庵朱銘がありましたので、以下その解説を引用させて頂きます。

『「松菴」は明治時代の故実家で、東京帝室博物館(現東京国立博物館)の学芸委員を務めた稲生真履(司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』の登場人物で、海軍軍人として日露戦争時の日本海海戦などで活躍した秋山真之の義父)のことで、刀剣をはじめとして古美術品に造詣の深い人物として知られており、他にも同氏が極めたものが幾点か確認され、本作の極めよりして同氏の炯眼の程が窺われるものである。』

三本杉基調ではありますが出入りは大人しく、頂点の尖り具合も優しい互の目です。元から先まで揃った形とはなず、三本杉の祖型的刃文となっています。地錵が細かく付き地景が多数確認できる板杢で非常に良質な鉄。
孫六と言いたくなる調子ですが、身幅若干狭めの大人しい造り込みであり、鋒も詰まり気味である事などを考慮してこの極めとされたのでしょうか。大変勉強になる良い極めだと感じます。

この様に締まった美濃の互の目を墨筆で描くのは結構難しく、先日の孫六も苦労しました。



全身押形 善定兼吉

刀 銘 兼吉(京都国立博物館2018年度館蔵品修復事業に於いて研磨)

京都府支部入札鑑定会が現在の文化芸術会館に移る前、京都私学会館で行われていた当時、鑑定刀に兼吉が出て来ました。その時拝見した兼吉が京都国立博物館に入る前のこの刀です。もう17,8年ほど前でしょうか。。
1の札で、絶対当たりだと思い「当麻」と入札し「イヤ」だった事をよく覚えています。私が過去に拝見した美濃物(志津系以外)の中で3本の指に入る好き度の刀です。
差し表の腰にある小さな尖り刃に気が付けば入札の選択肢は一つ、兼吉です。