平成13年7月15日 支部入札鑑定

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 私、元来データをとったりそれをキッチリと整理したりする性格ではありません。
ですので入札鑑定についても書籍は持たずかろうじて同然表だけ持って行き(書籍は持ってゆくべきだと思います)、やりっ放しで、現在は過去の入札用紙だけがなんとか残っている(一部紛失)と言う状態です。
しかも、自分の入札しか記しておらず、正解が分らない態の用紙も多々あります。
 入札鑑定と言う大変貴重な勉強の場でなんともったいない事をしているのか・・・と反省し、最近は用紙の裏に少しメモッたりはしていますが・・・。
 しかし名刀を拝見し、しかもそれを実際手に取って見せて頂けると言う事と、100点目指して色々考えながら札を入れる楽しみを人並み以上にしっかり味わっている自信は有ります(^O^)♪
  13年7月15日支部入札鑑定
一号 一の札 靖国刀  同然
二号 一の札 石堂是次
    二の札 石堂常光
    三の札 石堂為康 同然
三号 一の札 石堂是次
    二の札 石堂常光 
    三の札 石堂為康 同然
四号 一の札 長船則光 当り
五号 一の札 出羽大掾 イヤ
    二の札 直秀    イヤ
    三の札 水心子   イヤ
この時の正解は何だったのか・・・?! 
四号の則光だけは当っていますので分かりますが、刀だったのか脇差か・・・?
以下勝手な想像です・・・、定寸、反りがしっかりと有って少し腰反り気味。 身幅狭めで重ね尋常。 
棒樋をハバキ上で丸留め。 ベッタリと全身に映り有り。 完全な匂い出来の少し間伸びした互の目、すこし角ばる互の目混じり。   こんな感じで。
一号は確か直刃短刀でした。 肉がゴロンとついて細名倉以降効いていない状態だった記憶が・・・。 短刀はほんの少ししか存在しないはずですが、思い切って靖国刀に入札した記憶があります。
確か正解は新々刀、高橋長信と言う事だったか・・?!
二号三号は同じ刀工で揃えて各札入れています。
福岡、江戸、紀州と石堂ですねぇ・・。 紀州で同然ですが、確か正解は多々良長幸だったか橘康廣だったか。
長幸だったでしょうか。 だとしたら本国が紀州ですのでおまけ同然と言う事かな?!
全く同じ作風で元来の大小だったと思います。  以外に、同一刀工でしかも元来の大小と言うのは少ないもので貴重ですね。
五号は全く覚えて居ません・・・。
出羽大掾国路でイヤ、勝弥直秀でイヤ、水心子正秀でイヤ・・・。
多分直秀でイヤとしたのにまた正秀と入って来て、あまりのアホ解答っぷりに、「もっと勉強しなさい!」と言う意味でイヤとされたのだと思います(^-^;
それにしても利かない目で、出羽~直秀~水心子と見た刀とはなんでしょか・・・?
造り込み健全で中切っ先少し延びた・・・・、少し反りの有る寸詰まり脇差。  イヤイヤやはり、
造り込み健全で中切っ先少し延びた二尺四寸台の乱刃の刀でしょう。
最初の出羽の札は忘れて、匂い出きですが、刃中に向かい匂いが大変深く、少し尖り気味で片落ち風の互の目などを交えつつ。 
地鉄は出羽の札を少し考慮して、詰みすぎず板目など交えて地沸付き晴れた地鉄。
ん~、畿内、東海道、水心子系を外してこの作風(想像上)となるとかなり難しい札となって来てしまいました・・・。
うわぁもうダメです解らなくなって参りました・・・。
と言う事で、時代違いイヤだった事にして、特別重要刀剣の畠田と言う事にしておきましょう(^-^;
そういえばもう10年ほど前ですが、特重の無銘備前三郎国宗を栗原信秀と言ってしまい、その2年後に同じ刀をまた信秀と言ってしまった事が有ります(深い意図は全く無く単純に健全な古刀の経験が少ないだけです)。
本当に減っていない古名刀は浅い目で見れば新々刀としか見ることが出来ないのですねぇ。
はてさて少しは進歩したのでしょうか。機会があればもう一度拝見したい名刀です。

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