無題

先日来、鎌倉期在銘短刀、南北朝期在銘短刀、室町後期在銘短刀、南北朝末期乃至室町初期在銘太刀、鎌倉末期乃至南北朝期在銘太刀の全身押形を採拓。
しばらくは最近好きな筆で描いていましたが、下手さに悲しくなり久々に下筆春蚕食叶声に戻しました。
少し上手く行き嬉しくなり早速久々5本購入。
ただ、今使用している紙が以前の白梅に比べ少々弱いと思うんです。なので完璧なテクニックで短時間で最終的な濃さに持って行かなければ、下筆春蚕食叶声の様に少し硬い毛質だと紙がももけてしまいます。私のように恐る恐る薄い墨から濃い墨へと何段階も経ている描き方では紙がもたない。という事で、また最近好きな筆に戻りました。
そしたら調子が良いんです。これは何か掴んだかも。
と、いったいこんな事を何度繰り返しているのでしょうか。似たような事を何度も書いている気がします。
研磨の30年間でもこんな繰り返しはずっとありますが、押形の方が成長が遅いような。。
研磨は毎日ほぼ休みなく一日中やっていますが、押形は一日に数時間以内だからでしょうか。元々技術習得には時間が掛かるタイプなのは自覚していますが、それにしても道は険しいです。只々沢山やるしかないですな。

次は刀の全身押形を二口採拓しますが、以前頂戴した硯を使いたいと思います。
中山の砥石の様に、きめ細かく滑らかな肌触り。八角形えんじ色の小さな硯です。
この硯は私の中でちょっと特別な物で、この石を使うと普段より一層落ち着いた気持ちを得る事が出来ます。



山鉾巡行

函谷鉾

今日は祇園祭山鉾巡行で、少しだけ見に行きました。
立って居るだけで汗がにじみ出る暑い日です。
長刀鉾のお稚児さんの注連縄切りも無事一太刀で成功したようです。
以前この太刀は左行秀だと聞きましたが今もそうなんでしょうか。

長刀鉾
函谷鉾


長刀 銘 平安城住三条長吉作
     大永二年六月三日
(切り付け銘)去年日蓮衆退治之時分捕仁仕候於買留申奉寄附 感神院江所也 願主江州石塔寺之麓住鍛冶左衛門太郎助長 敬白 天文六丁酉歳六月七日(長刀鉾保存会蔵)

平安城長吉の三尺七寸七分の長大な長刀が伝わっています。この長刀には焼き刃が無く、長刀鉾の鉾先につけるために製作されたと思われます。
若州次廣、信濃守信吉には鞍馬寺竹伐り会式(たけきりえしき)で使われる山刀があり、これらは刀鍛冶が製作した祭具としての貴重な作例です。



柴田果の肥前刀観

柴田果のコレクションは壮大でその数は数千ともいわれるそうですが、一般愛刀家でなく刀の製作者である人物のコレクションとはどのような物だったのでしょうか。先日読んでいた本に晩年と思われる自筆の蔵刀目録がある事が記されておりその一部があげられていました。古刀から新刀までかなりの範囲を網羅しており、普通と言えば普通。。ただやはり刀工名を見ただけでは分かりません、実際の刀を見てみなければ。どのような作風の刀達だったのでしょう。
集める範囲は広かったようですが、とりわけ肥前刀への関心は高く、刀剣美術第10,12,13号(昭和26年)に「刀匠は斯う考へる」として自身の肥前刀観を吐露しています。その書き出しはストレートで「私は肥前刀が好きである」から始まります。
「第一に品が良い。垢ぬけがして、すべてに無理がない。刃味がよい。自由に焼刃を渡している。それでいて、これ見よと言うような衒気がない。まことに精品という感じである。其上に、刀匠は幾代も上手が続いている。」
肥前刀の良さを端的に表した一文です。続けてこう書かれていました。
「次に最も重要なことは、製作されている数量もまた相当に多い。そして、作品に例外というものは餘りない。この事も私の好きな理由の一つである・・・・・・というて、此例外なしと言うことは、精良なナイフ工場が作るナイフの如く画一的のものと言う意味ではない」

肥前刀の作刀数はかなりの数にのぼり、特に近江大掾などは刀剣史上突出しているはずです。研磨や入札鑑定で出会う事も非常に多くその多さを常に感じる中で、「精良なナイフ工場が作るナイフの如く画一的のもの」という気持ちが私の中に生まれていました。
この感覚は改める必要がありますね。改めるといっても「変える」という意味では無く「正しいかどうか詳しく調べて確かめる」方の意味です。もちろん、心の中で柴田果の見方が間違っていると思っているのではなく、私の方が間違っていた、考察が足りないと思っているのですが、まだ実感出来ていないのです。
少し先になりますがちょうど近江大掾のしっかりした造り込みの刀の研磨を予定しています。押形をとりながらじっくり考えてみたいと思います。