助包

太刀、銘 助包(国指定重要文化財)

48回目です。
助包は、古備前と一文字に同名で数工存在し、銘の書体は数種あります。
また銘の大きさも大中小があってそのいずれもが別人と考えられています。
一説には小振り銘を古備前、大振り銘を福岡一文字といいますが、実際には小振り銘にも福岡一文字と認められるものが、また鎌倉初期古一文字に大振り銘もあって、銘のみでの判別は容易ではありません。
今回UPさせて頂く助包は大振り銘で、先述の説で見れば福岡一文字となる訳ですが、各刀剣書に掲載時の本刀の分類は、古備前とするもの、一文字とするものと分かれ、様々な見方があります。
この助包と同種の大振り銘の古一文字は、本作に比してかなり古雅な出来ですが、ここで忘れてならないのが国指定文化財刀剣の健全さです。
日常接する古名刀はどうしてもある程度は研ぎ減っている物が多くそれを基準にみた場合、殆ど減っていない文化財指定品を手にしたとき、時代を若く見誤るきらいがありす。
例えば長光などでも本当に減っていない丁子の匂い口はよく締まり、河内守国助など新刀を見るようです。

また、健全な刀身に表れる映りは暗帯部との境に匂い口状の縁を持つ乱れ映りとなり、肉が落ち淡くなる前の映り本来の状態と考えられます。(映りにも様々なタイプがありますので全てがそうとは限りません)

先日も所在不明文化財について書きましたが本太刀も以前は所在不明リストにあり、その後現所有者により文化庁への届け出がなされ、無事所在確認となりました。
刀身には錆等があり修復が必要と判断され、文化庁への正式な手続きの上、割り鞘と研磨修復を行った次第です。



所在不明文化財

以前所在不明の国宝・重要文化財についてブログに書いた事がありました。
 所在不明の国宝・重要文化財(2015)

文化庁がこのリストを発表して以来、各方面の意識の高まりもあって発見が相次ぎました。
久々に文化庁HPのリストをみると画像付きになっています。
文字情報だけでは気付きませんでしたが、画像で見ると最近拝見した重文も何点か不明リストに。
刀は同じ銘や同じ寸法の物が多数ある訳ですし、特定には画像や押形などの情報が不可欠ですね。
登録審査でも登録証の紛失などの場合、台帳記載内容を全国の教育委員会に照会するのですが、やはり文字情報だけでは無理があります。



信州住行宗(兼虎初期銘)

短刀、銘 信州住行宗(花押)
     嘉永六年二月日 
    (刃長 九寸五分)

47回目は山浦兼虎初期銘、行宗の短刀です。
兼虎はブログ前掲真雄の子で父真雄及び叔父清麿に作刀を学んでいます。

兼虎の作品は少なく関西などでは拝見する機会もめったにないのですが、特に初期行宗時代の作品は極少数しか確認されていません。
刀剣美術306号「真雄・清麿揺籃期の周辺(4)」(昭和57年7月/花岡忠男)に4口の行宗が紹介されています(内3点につき押形も掲載)。

 ・短刀 信州住行宗
     嘉永五年八月日
    (五寸三分七厘) 

 ・短刀 信州住行宗
     戦場在常
    (七寸三分) 

 ・脇指 信州佐久郡茂来獄以磁石製鉄鍛
     行宗 嘉永五年十月日
    (一尺三寸八分) 

 ・脇差 応土橋氏需信州佐久郡茂来嶽以磁石製鉄
     行宗鍛
     嘉永五年十二月
    (一尺四寸八分)

以上の4口、年紀の有る3口はいずれも嘉永五年紀。翌嘉永六年には銘を兼平と改めています。
刀剣美術708号(平成28年1月)、細萱知敬氏の随筆に、上記に加え新たに茂来嶽銘発見の報があり、この時点で行宗5口。

さて今回の押形ですが京都の旧家より錆身で発見された品で嘉永六年紀です。兼平へと改銘直前の銘という事になります。
状態良好な生拵えが付帯。
もしも他に新たな発見が無いならば、6口目の行宗が加わった事になります。

※茂来山は信州百名山の一つで、磁鉄鉱が産出され鉄が作られていたそうです。
  https://www8.shinmai.co.jp/yama/guide/000104.html
※長野県佐久町大日向鉄山の「天然磁石(磁鉄鉱)」(行宗についても紹介されています)
  http://mineralhunters.web.fc2.com/oohinata.html



山浦真雄

刀、銘 信濃国真雄

46回目は松代藩工山浦真雄です。
松代藩、真雄と来れば”松代藩荒試し”となるわけですが、今回は安易にその常道をとる事に憚られる気持ちがあり、控える事にします。

山浦鍛冶といえば私はまず刀剣美術誌に掲載される花岡忠男先生の論文を思い出します。
以下にざっと調べた掲載号を上げます。(この他にもあります)

  廃刀令後の真雄・兼虎閑話(その一) 刀美154
  廃刀令後の真雄・兼虎閑話     刀美155

  山浦真雄の最初期銘
  「正則」・「寿守」に就いて    刀美169

  山浦真雄『松代日記』註釈(上)  刀美178
  山浦真雄『松代日記』註釈(下)  刀美179

  佐久間象山と山浦真雄事蹟考1   刀美200
  佐久間象山と山浦真雄事蹟考2   刀美201

  直胤・真雄 松代藩作刀余事1   刀美261
  直胤・真雄 松代藩作刀余事2   刀美262
  直胤・真雄 松代藩作刀余事3   刀美263
  直胤・真雄 松代藩作刀余事4   刀美264
  直胤・真雄 松代藩作刀余事5   刀美265
  直胤・真雄 松代藩作刀余事6   刀美266
  直胤・真雄 松代藩作刀余事7   刀美267

  真雄・清麿 揺籃期の周辺     刀美303
  真雄・清麿 揺籃期の周辺2    刀美304
  真雄・清麿 揺鑑期の周辺3    刀美305
  真雄・清麿 揺籃期の周辺4    刀美306
  真雄・清麿 揺籃期の周辺5    刀美307
  真雄・清麿 揺籃期の周辺6    刀美308
  真雄・清麿 揺籃期の周辺7    刀美309
  真雄・清麿 揺籃期の周辺8    刀美310
  真雄・清麿 揺籃期の周辺9    刀美311

  源清麿―新資料と其の追究1    刀美324
  源清麿一新資料と其の追究2    刀美325
  源清麿―新資料と其の追究3    刀美326
  源清麿一新資料と其の追究4    刀美327

  寿隆と真雄・清麿逸事1      刀美567
  寿隆と真雄・清麿逸事2      刀美568
  寿隆と真雄・清麿逸事3      刀美569

  源清麿晩景1           刀美579
  源清麿晩景2           刀美580
  源清麿晩景3           刀美581

  清麿 武器講・長州行き伝説疑異1 刀美594
  清麿 武器講・長州行き伝説疑異2 刀美595
  清麿 武器講・長州行き伝説疑異3 刀美596
  清麿 武器講・長州行き伝説疑異4 刀美597

  真雄・清麿と兼虎 その実歴1   刀美642
  真雄・清麿と兼虎 その実歴2   刀美643
  真雄・清麿と兼虎 その実歴3   刀美644

  真雄・清麿と兼虎 逸史残霞1   刀美698
  真雄・清麿と兼虎 逸史残霞2   刀美699
  真雄・清麿と兼虎 逸史残霞3   刀美700
  真雄・清麿と兼虎 逸史残霞4   刀美701
  真雄・清麿と兼虎 逸史残霞5   刀美702

「真雄は清麿の兄で・・・」。真雄についてまだまだ一般的にはこの様に捉える方が多いかと思いますが、花岡先生の論文を読み真の真雄像を知ればそれまでの認識は一変するはずです。

山浦系の作品は”錵”のイメージが強いと思いますが、多数残る真雄本人の言葉からは、錵を好んではいなかった事がうかがわれます。
実際拝見する真雄の作品からも錵出来が多い印象を持って来ましたが、花岡先生の「山浦真雄『松代日記』註釈(上)(刀剣美術誌第178号/昭和46年11月)」に以下の内容があり納得しました。
『「日記」には「匂のみ鍛造して錵物は造らず」とあるが、遺作経眼せるに沸出来(相州伝)と匂出来(備前伝)の両作があるが、相対的には寧ろ沸出来が多い。上田打の沸出来は品の良い小沸を匂が包んだものが多く、これ等を匂物と総称したものと思われる。沸出来の場合刃中に沸で縞状の砂流しのかかるものが多いが、この場合もふっくらと匂に包まれて、真雄独特のものである。』
今回掲載させて頂く真雄も、匂い主体で部分的に錵が交じるも所謂「裸錵」ではなく、匂いに包まれた品の良い粒子となり、真雄が目指した作風がここに体現されているのではないでしょうか。