木屋押形

ちょっと久々に大型書籍を購入しました。
木屋押形。昔から欲しかった本です。
届きまして早速荷解きを…。しかし一冊しか入っておらず。。木屋押形は龍乕二巻のはずなのですが。。
で、開いてみて初めて知りました。

この様に長い一枚状の物を折り重ねて本にしています。そしてその表が龍の巻、裏が乕の巻。
伸ばし広げた写真を見た事がなかったので光山押形の乾坤の様に二冊になっているのかと思っていて、全く知りませんでした。
長さは30メートル以上。全部広げてゆっくり見てみたいです。



さらに

駿河徳次郎さんの押形。新刀、新々刀編を調べてみました。

皆焼の肥後輝。これは見てみたいですねぇ…。戦災にあわずに残っていることを願います。

仙台初代、現在重刀指定。

康継世喜宿銘。貴重な品です。

固山。現在重刀。

徳鄰。現在重刀。

伯耆守正幸。現在重刀。

新刀・新々刀の重刀に出会う機会はそれ程多くありません。この押形集の蔵書印に記された大正元年から既に109年。現在名品とされている品は、当時も名品だったのですね。



またですが

駿河押形を少し調べてみました。

元徳元年の直次、現在特重指定。

村正と正重、現在重刀指定。

来国行、来国長、現在重刀指定。
他にも色々ありそうです。

駿河さんが「○○氏」「○○君」など当時の所持者を記していますが、刀剣界の重鎮のお名前などがあり、交友関係の広さが伺えます。



平安城安廣

脇差、銘 平安城安廣於紀州名草郡和歌山作之

53回目も紀州刀、紀州石堂の安廣です。
石堂派は近江国の発祥で、江戸、紀州、福岡(筑前)などに移住し繁栄しており、安廣も近江国より移住した一人です。
安廣は紀州の藩工として活躍していましたが正保元年に御役御免となり、門弟或いは嫡子と考えられる安定(大和守)とともに江戸に出ます。安定は江戸にて大いに活躍、安廣は京都に移り作品を残します。
安廣の活動実態や足跡は未だ不明な点も多いのですが、近年では南紀重国との関係が注目されています。
以前もブログに書きましたが、(https://kyoto-katana.com/archives/5807/)今回の安廣も茎仕立てや目釘穴の大きさ、そして脇差にも関わらず重量が760グラム以上という異様なほど頑強に造り込む点など、やはり重国との深い関係を感じます。
銘に「平安城」を冠した晩年の京都時代の作品ですが、「於紀州名草郡和歌山作之」と切っており、安廣の晩年の足跡を知るうえで大変貴重な資料です。