相州上工

先日ブログで「相州上工」という言葉を使ってしまいましたが、私実はその定義を知りません。
良くないなぁと思いながらもついつい。
相州上工という言葉は割と頻繁に目にするのですが、相州上工とはどの範囲をいうのか、明確に書かれた物に出会っていないかもです。
また「相州伝上工」という言葉もありますが、相州上工と相州伝上工を同じ意味として使用しているのかもよく分からず。
相州伝上工の”伝”を略して相州上工としているのかと思いきや、どうもそうでもない使われ方もあり。
書籍上、相州上工として一番よく上げられるのは、志津、貞宗、江、則重でしょうか。正宗は実はそれらより少ないと思います。(もちろん相州上工の筆頭は正宗ですが、相州上工という言葉は「相州上工の志津や貞宗を範とした・・・」の様に後の時代の刀工の作風解説に使われる場合が多く、結果、正宗登場数は下がります。)
次いで、左文字、行光、そして新藤五。私の中の漠然としたイメージも以上の刀工が相州上工です。
ただこれ等工人意外に、広光や長義を相州伝上工或いは相州上工として挙げる例もあるようで。
また過去の刀美本部鑑定刀解説を読んでいると、左文字を相州上工から外した形で解説された例があり、さらには高木や信国を相州上工として扱っている例も。これは益々分からなくなりました。
この何年もの間、京都支部会では何故か本部講師に来て頂く機会がほぼ無かったため(最近復活しました!)、私はこういう皆が知っている当たり前の事がスッポリと抜けていたりします。。次の本部からの時に質問してみよう。
昔読んだ何かの本で本間先生が「相州上工は貞宗を最後とすべき」という様な事を書かれていた記憶があり、先日来散々探しましたが発見出来ずです。
もしかしたらこの本じゃないか?!を思う物をネットで見つけ昨夜ポチったので届いたら確認してみます。おそらく「相州上工とは○○と○○と○○です」なんて事は書いていないと思いますが、貞宗が最後という一文があれば色々スッキリするのですが。。

25日にふくやま美術館の正宗十哲展を見に行きました。色々確認出来て良かった。

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