長吉(伝龍門)

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太刀、銘 長吉(伝龍門)

17回目はまた大和に戻ってきました。
今回は伝龍門と極められた長吉二字銘、生茎の太刀です。
龍門鍛冶は鎌倉時代、大和国龍門荘で勢力を誇っていた大寺院、龍門寺に関係する鍛冶といわれています。(奈良盆地の南端、西に当麻寺、東に浅古、直ぐ南に多武峰(談山神社)、そのまた南に龍門寺跡があります。楽しいのでグーグルマップで検索してみてください)
龍門派の有名工といえば延吉ですが、この工は千手院派の流れといわれています。
しかしMUSEUM No.475、小笠原信夫先生の「龍門延吉に関する一考察」によると江戸時代初期頃までの刀剣古伝書には延吉が龍門に住したと記すものはなく、千手院鍛冶とする記述も江戸後期になり初めて出て来るといいます。
大和鍛冶は大寺院の勢力下にある訳ですが、その盛衰により立場がかわり、また南北朝期の混乱にも巻き込まれます。
まずこの辺の歴史との関係を知らなければ、龍門に限らず大和物を理解する事は難しそうです。

延吉の銘字は大きく分けて二種あります。作風も大和様式の作品と丁子刃で映りのある備前様式の作品があり、これら全てを同人とする説、或いは別人との説もあって未だ結論は出ていません。(この長吉以外に過去二口、龍門の研磨経験がありますが、一方は完全な大和様式、もう一方は大和と備前の折衷でした)
さて押形の長吉ですが、往昔抄に「大和国吉行子龍門山本長吉作之(嘉暦年紀)」があり、この工に該当する可能性があります。
鎬を高く造り込み、総体に柾気の強い地鉄。よく働く千手院風の刃文を焼き、区には焼き落としを見せ、研ぎ味は、映り気も苦にならずサラリとして良く晴れる地鉄。
龍門長吉の作品がどの程度現存するかは不明ですが他に聞いた事はなく、極めて貴重な品である事は間違いありません。



信長(浅古当麻)

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短刀、銘 信長(浅古当麻)
 
16回目。信長と二字銘で「浅古当麻」と鑑定されている短刀です。
浅古当麻は、大和国浅古(現奈良県桜井市浅古)に住した当麻信長が室町時代初期、越前に移住し代を重ねたといわれる刀工です。
銘鑑を見るとこの浅古当麻信長の他、越後の山村系に一人、加賀の藤島系にも数人の記載があります。
今回信長を調べる中で解粉記(慶長十二)にその記述を見ました。そこでは信長を藤島鍛冶とし、藤島出来の信長と当麻出来の浅古当麻(個銘の記載はない)との違いを指摘しながらも「浅古当麻かとも思う」と、信長の浅古当麻説も述べており、悩みの程がうかがえます。
重刀に浅古当麻とされる信長の指定がいくつかありますが、その解説に「作風は藤島に似る」とし、今回の押形も特に差表などは藤島と同種の刃文です。
しかしこの片切刃の造り込みや常とは違う銘振りと茎仕立てから、銘鑑にある山村(京信国系)の信長も気になるところです。
 
尚、浅古とは地名ですが、「越前国浅古の地に信長が移住し…」との解説を度々目にします。これについては刀剣美術第414号(平成3年7月)、米村正夫氏の「浅古当麻(信長)の浅古とは何処か」に詳しい記載があり、また当麻派についても大変興味深い内容で、ご興味おありの方はご一読下さい。