≪新刀≫山城 堀川国廣

刀、銘 山城国一条堀川住人信濃守国廣 慶長十八年癸丑六月吉日

刃長 二尺七寸七分五厘 反り 五分五厘

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国廣は、日向国飫肥伊東家の家臣であり、同家没落により日向国を出た後は諸国を遍歴しつつ鍛刀、 慶長四年から京の堀川に定住している。
国廣の現存する作刀年紀は慶長十八年十一月日までで、翌年慶長十九年、八十四歳で歿したとされて居る。 よって「慶長十八年癸丑六月吉日」の年紀の有る本刀は国廣八十三歳、最晩年の作品である。

この刀は国廣大鑒所載であり、その解説によると、「銘振り面白く、山城国と銘したものは他に 山内家の薙刀を見るだけであり、ことに国の字は中が玉となつてをり、更に掘川住人と「人」を入れたものは 他に皆無であろう。」とある。
さらに土屋押形原本にも所載という事で「土屋押形原本によるともと日向伊東家の蔵刀であった事が分かる」と註釈されている。
刀剣銘字大鑑に「飫肥伊東家には多くの国廣が収納されていたが、いずれもその作刀年代が相違している。多分、年ごとに 上納したためであろう。江戸末になってもなおかなりの国廣の刀が収蔵されていたようで、国廣と伊東家の不可分の関係が よくわかる」とある。
本刀もその中の一振りであったと思われる。

地鉄は典型的な堀川肌で刃紋は直刃に叢沸付く箇所など在り、国廣の沈む手の刃ではなく、明るく冴える出来口を示す。

国廣は幾多の名工を育成した事でも知られる。
国安、国政、大隈掾正弘、藤原広実、越後守国儔、和泉守国貞、河内守国助、出羽大掾国路、 山城守国清、平安城弘幸等々名工が多数。
刃長二尺七寸七分五厘。八十三歳にしてこの貫禄の作品を残せたのは、この様に多数の心強い門人が居たからである。

第三十三回重要刀剣。