御刀拝見

出先にて無銘雲次拝見。研ぎで少し肌を荒くしてしまっているが、もう少し湿潤な肌に仕上げれば、今は淡く見え辛い映りももう少し鮮明になると思う。
無銘なので当然他の極めも考えられ、例えば畠田真守なども思い浮かぶが、帽子の素直さを重要視すれば雲次の極めになるのだと思う。
それにしても、刃中非常によく働いて、度々見る寂し過ぎる雲次極めの刀とはかなりの違いがあった。

出先にて山城慶長新刀を拝見。寸延び。
慶長新刀は、なんでしょか。あの魅力。慶長新刀を拝見する度に、「慶長新刀」の分類がある事に安心する。良いと感じる感覚は間違っていないのだねと。
この10年で新作刀を少なくとも150~180振り程度は研磨させて頂いたと思うが、その度に姿の大切さ、難しさをつくづく実感し、そして慶長新刀の姿の良さを感じる。(新作刀の姿が悪いと言っているのではない。むしろ現代刀匠の姿に対する敏感さに自分を反省し勉強させて頂く事は非常に多い)
山城慶長は国広、明壽、三品系初代などなど・・・。凄いセンスの刀工ばかり。
どこからあの姿が生まれたのだろう。。以前も書いた気がするが、単に”南北朝の磨上げ姿”では説明がつかん。
”他江不可渡之(太刀)”は何度か手に取って拝見したが恐ろしく洗練された姿で、長い物を一振りしか作った事の無い人間が作れる刀では無かった。
慶長平身。かっこ良さはフクラの張りや枯れ、刀身の反り、茎の振りや刃方のライン、茎の長さ、焼き刃バランスなどなど、様々な組み合わせを絶妙にこなしている物が多いと思う。単に”古いから”、”位列が高いから”の評価ではなく、実際非常に上手い。
ただ、私は数値できっちりと把握するタイプではなく感覚でしか見ないタイプの研師なので、数値の事や目釘穴位置に関する見解などを刀匠さんや鞘師さんに聞いてみよう。