信濃へ

水の流れに花びらを
そっと浮かべて泣いた人
忘れな草にかえらぬ恋を
想い出させる信濃の旅よ

残念ながら教養の披露じゃぁありません、五木ひろしの千曲川。 いい歌です。
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まだ満開の木が多くありましたが葉桜が好きなので。
この辺りの軒裏は丁寧ですね。風土からですか。

 



諸々

日々研磨。

今日は少し別の作業も。
茎が短く先へ重心が寄り過ぎる時、通常は鐔等で調整するが、茎尻に重りを入れて調整する事がある。
重り作成の依頼があり、残欠刀の茎を使用する。
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糸鋸で切る。
磨上げ茎でこの切断部の焼きは戻されていると考えていたが焼き戻されておらず、ここから先糸鋸が滑り進まず。
とは言え簡単に折れるわけだが。 ダイヤ鑢の無い時代、焼き戻さずにどうやって削ったのか。砥石しかないか。
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かっこいい重りが出来た。
柄に埋め込まれ誰の目にも触れない存在となる。

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川原で拾った石コロをカクカクに削りたいらしい。
普段は完全入室禁止だが特別に許可する。



ちょっと田舎に行って来た

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郷里へ。
桜満開です。
数年前、水害で荒れたんですが、川は元に戻っていませんでした。
ひどく荒れています。砂利で埋まってしまっている。

子供達は自然で遊ぶ事に慣れていないのでちょっとした事でも喜びます。
慣れていた私も大分忘れていました。
満天の星空と言うやつを見せてやろうと意気込んで行ったのに月が出ていて見られず。
月が出ていると星が見えない事すら忘れていて自分でも驚いた。
次は調べてから行かないと。



手切りの鑢を

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昨夜貞豊刀匠から手切りのヤスリを頂いた。
京都に手切りヤスリの職人さんが居るそうだ。
私が鉄のヤスリを使うのは埋鉄関連の仕事が一番多いだろうか・・。
一般工業製品のヤスリは使い捨てのイメージかと思うが、「手切り」という事が考えに入って来ると、切れ止めば切り直すと言う事になる。
もちろん私などはそこまでやりません。しかし実際貞豊刀匠から、切れなくなったら焼き鈍してサンダーで落として切り直すお話をうかがった。
新しい物を買う方が早いが昔は皆なんでも直して使ったものなのだろう。
小さい頃はズボンも靴下も靴もみな継ぎはぎだらけ。
ランドセルも回りまわって来たぺったんこの誰かのお下がりで両サイド布貼りだった。小3の時背負って歩いていたら両サイド一気に破れて全部ぶちまけて、それ以降肩掛け鞄だった。
今思えばよくいじめられなかったものだなと・・。



桃川長吉

研磨記録の研磨外の部に重美「桃川住長吉」を追加致しました。
この長吉は日本刀大鑑、刀影摘録、新刀古刀大鑑、重美全集等々各書に所収の有名作ですが、何より土屋温直の押形集「刀剣銘字大鑑(土屋押形)」に載っている事が嬉しいのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/j1573jj/64625884.html
昔これに書いたとおり、土屋温直さんは非常に苦労してこの押形集を作られています。
土屋押形所収の品は度々拝見したり過去に研磨させて頂いた事も何度かありますが、その度に「温直さんもこの刀の押形を採ったのか・・・」と感慨にひたります。



支部入札鑑定会

今回は私が当番と言う事で、一番好きな大和物を中心に鑑定刀・鑑賞刀を用意させて頂きました。

鑑定刀

一号 太刀 朱銘 千手院

二号 短刀 無銘 保昌

三号  刀 無銘 包永(手掻)

四号 脇指 無銘 尻懸

五号  刀 朱銘 当麻

鑑賞刀

六号  刀 無銘 金房

七号  刀 無銘 大和志津

八号  刀 無銘 志津

九号 脇指 無銘 古宇多

十号 薙刀  銘 千手院(美濃千手院)

 

鑑定刀は大和五派。
鑑賞刀は、大和金房、大和志津、大和志津が美濃に移住し志津三郎兼氏となったという志津(兼氏)、大和から越中に移住した古宇多、大和千手院が美濃に移住した美濃千手院。
以上大和本国物と大和関連の品10振りをならべさせて頂きました。
大切な御刀をご提供くださった皆様に心より御礼申し上げます。
この度は誠にありがとうございました。

 



文机を使っていましたが

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裏にこう書いてある文机をずっと使っていました。
表面の塗りはほぼ剥がれてしまっていますが大きさが丁度よくって。
最近油の瓶を倒して大きな染みになってしまい、新しいローテーブルを探していたんです。
しかしローテーブルと言っても本当に低いテーブルってないんですね。
それにやはり古い雰囲気の物が好きなので、結局ヤフオクでこれを。
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いいじゃぁないですか! 高さ19.5cm。 こういうのは和裁用の仕立て台なんでしょうか・・。
一寸ちょっとの無垢板です。やはり欅ですかねぇ?
大きさも以前の物よりさらに絶妙で。
大変気に入りました。



明寿さんは

https://kyoto-katana.com/archives/4337/
↑ここに「他へ渡すべからず」の事を少し書きましたが、明寿の刀は一振りしか無いのに何故上手いのかがちょっと疑問でした。
職人の仕事は数をこなしてこそ腕が上がります。
江戸期の塗り鞘などは大した拵えではなくとも大変上手い。
毎日毎日大変な数を塗ってきたからです。
刀の研ぎで分かり易い部分で言うと、例えば棟先とハバキ元の化粧磨き。「流し」などとも呼ばれます。
趣味で研がれている方からは、難しく作業に時間が掛かると言う話はよく聞くものですが、普段研いでいて、自分で下地をした刀への化粧を失敗してやり直す事はめったに有りませんし、短時間でスススと入れる程度のものであり他の研磨工程に比べれば難しい物ではありません。
で、計算してみたのですが、極小範囲の部分研磨にお預かりした刀でも、化粧が悪ければ大体入れ直しますので、少なく見積もっても今までに2万6000本以上は、練習じゃない本番の化粧磨きを入れているわけです・・(化粧磨き本数、私の場合短刀6本、刀・脇指28本)。 そりゃ失敗もしなくなります。

明寿の刀は一振りしか残っていませんが、凄い姿です。
一振りしか造らずあの姿が出せる訳がない。
では沢山造ったが一振りしか残らなかったのかと言うとそうでも無い気がします(わかりませんけどね)。
結局、古刀の磨上を沢山こなし、絶妙なバランスを身に付けそして慶長新刀独自の姿を生み出した訳なんですね。
なるほど。
姿については分かりましたが、では地刃はどうなんでしょうね。
短い物は出来ても長い物は全く違うと刀匠さん達からよく聞きます。
やはり他にも長い物を沢山造ったのでしょうか。 それとも代作か?