再び、島津正宗について

またですが、ちょっと見落としていた事で。
今回のニュースをネットの記事で見た時、刀身スキャン画像無しの記事を読んでいました。
それで、継平押形と図説刀剣名物帳を開き押形を見比べ、この二つの刀は同一では無いと言う事で「(継平押形所載の島津正宗は)図説刀剣名物帳に載っているものに茎形状など似てはいますが、刃文や造りこみ、それに目釘穴の位置が大きく異なり別の物ですね。」と先日のブログに書きました。
それで、先ほどネットニュースにUPされている京都国立博物館提供の島津正宗の全身スキャン画像をはじめてちゃんと見たのですが、図説刀剣名物帳で参考のためとして掲載されている押形に酷似していました。
スキャン画像が小さいためよく分かりませんが、多分同一かと。(画像がかなり小さく、樋の有無すら確認出来ないので、別物の可能性もあります。しかし、図説刀剣名物帳の目釘穴位置、穴埋め位置、細直焼き出しに腰刃風や横手下の刃文などが酷似)
図説刀剣名物帳発行が昭和45年ですので、この刀の存在は既に当時から知られていたが、島津正宗であるとの断定には至っておらず、この度晴れて断定されたと言う事なのかも知れません。
その辺の所を研究紀要などで読めたら楽しいですね。



関物押形完成

先日来描いていた全身押形が完成しました。
関
磨上て、刀銘茎尻に「兼」の一字が残ります。
以前から度々ブログに書いた事がありますが、美濃物でも尖り刃ではなく少し異風な出来が好みです。
https://kyoto-katana.com/archives/3916/ ←最近ではこの記事など。
今回描かせて頂いた品も慣れない方は美濃物以外の刀に見てしまうかも知れません。

銘は残念ながら「兼以下切レ」となっています。
少し短い茎となる中途半端な位置で切断しており、この刀を之定とするためにそうしたのではないでしょうか。
中宮敬堂の鞘書では「兼房」としており、保存鑑定は「兼則」です。
茎を見ると銘の二文字目の第一角の様な跡が残っています。
中央上部に点が残る事から「兼房」とも見えます。
しかし上身で鑑定するとこの出来は兼則がセオリーだと思います。