今一度、平成知新館へ行ってみた

2014年10月21日

また行ってみた。
平日でも変わらずの行列。
これから紅葉シーズンにかけて途切れる事はなさそうだ。
会場に居ると、普段は”刀”を意識しない人々が目にする”刀”とはどの様な物なのか、漏れ聞こえる声からわかる。

さて、骨喰藤四郎。
茎の火肌から火災後の刀身状態が想像できる。
火災に遭い、その後の研磨を経ないそのままの刀身を度々見るが、上身もぺらぺらと肌がむけている。
骨喰の彫りもかなり酷い状態であったと思われる。そして更に再刃。
彫りの力が全く無いのはそれが原因であろう。
光徳刀絵図を見ると焼身になる前の図があり、それは今よりも濃密で力強い彫りである。が、押形には寿斎の書付で「切物之内二むら有之故さらへ申・・」とあり、埋忠寿斎が彫りさらえをして居る事がわかる。即ち元々それほど上手な彫ではなかったのかも知れない。
康継の作に「骨喰吉光模」の銘がある骨喰写しが存在する。(また重刀図譜を見ると播磨大掾重高にも骨喰写しがあった)
これは本科骨喰が焼身となる前に写された物である。その彫りは光徳絵図に見る彫りに近似し、骨喰の元の姿が窺い知れる貴重な品である。
そもそもこの彫りは藤四郎吉光が彫ったとは思えないのだが、誰の手によるものか・・。(刀身自体吉光作とは考えられて居ないようであるが)
この異様に幅広い櫃や櫃内の空間の多さは康継が骨喰彫りを写したと言うよりも、元が越前彫りと言われた方がよほどしっくり来る。

少々前置きが長くなった。昨日のブログで「骨喰の彫りは何とかならないものか」と現状の批判めいた事を書いてしまったが、研磨は手を尽くしたのかもしれない。
すべては上記のごとく、焼けたのが悪かった。